私が幸福を恐れ遠ざけていた理由


先日ふと気付いたら、ノートにこんな文章を書いていました。
「別に幸せでも構わないじゃないか」と。

日記を書く習慣を持っている人はよくご存知だと思いますが、紙とペンを手にしていると、突然想像もしなかったようなメッセージを受け取ることがあります。

「別に幸せでも構わないじゃないか」

自分が書いたこの文章を読んだとき、それは特別な響きをもって私の中に広がっていきました。

そして続けて、今度はハッキリと意識的に、その下に書き加えました。

「別にお気楽でもいいじゃないか」
「別にポジティブでもいいじゃないか」と。

そうだ、私はずっとこう思えないでいた。
ずっとずっと、そんな風には思えない私だった。

その瞬間私は、過去の自分と出会い直したのだと思います。
幸せになることから全力で逃げ、抵抗してきた自分に。

私が幸せでなかったのは、幸せになりたくなかったからだ。
そんな奇妙で歪んだことが起きていたなんて夢にも思っていなかったけれど。

過去の私はたしかに不幸に目を向け、不幸を数え上げ、不幸を待ち構えていました。
楽観的なビジョンよりもむしろ悲観的なビジョンを描くことを「前向きな行為」だとすら思っていた。

それが毎日のふとした瞬間、今ある不幸と、これから起こるかもしれない不幸を数え上げることで「私はただしく現状を認識できている」ことに安堵していたのです。そうやって、「ふつうの人生とは基本的につまらなくて不幸で不安に満ちたものなのだ」というビジョンを毎日毎日毎瞬毎瞬、熱心に熱心に確認し、丁寧に丁寧に凝固させていたのです。

ポジティブな人、明るい人、幸福そうな人を見ては、
「こんなに楽観的じゃ、今に痛い目を見るはず」だと決めつけていたように思います。
こうやって改めて文章にするとひどいヤツだなと思う。

ただ私はそのくらい、幸せが怖かったのです。

不幸に打ちひしがれている人、たった今苦しんでいる人を見て、安心すら覚えていた気がします。
「ほらね、やっぱり人生って大変だ。つらいんだ。気楽にしてたら痛い目を見るんだ」

なんて変なことをしていたんでしょう。自分の首を絞めていることにも気付かずに!
これほど楽しく気楽な世界に生きていて、喜びに満ちた毎日の中にいて、楽しむことが怖いだなんて。

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