今日は生まれて何日目であるか【日記R6.7.12】

 通院の日だった。このところは毎週通院している。

 最初の頃は「今日は何回目の通院だ」と数えるまでもなく意識していたのが、いつからか判らなくなった。

 最初は指折り数えていたはずのものがいつのまにか判らなくなることはよくある。今日は夏休み何日目であるか。恋人との何回目のデートであるか。新居に移って何度目の自炊であるか。

 けれども不思議と何回目かを忘れることがなかったのが大学時代の講義である。半期15回か全期30回のうちの、今日が何回目であるか。配られるPDFに回数の表記がなくとも忘れることはなかった。それはそこに確実な終わりがあるからかもしれなかった。

 そんなに毎週病院に通って何をしているのかというと、自分に合う薬を探している。一週間ごとに薬の量を増やしたり減したり、種類を変えては様子を見ている。やっとそれなりに合う薬の組み合わせが見つかったところだ。

 書き物がちっともできなくなった。といっても、少し前までは、気分の浮き沈みで、病的に書けるかわりに寝食すらまともにこなせなくなるか、寝たきり同然で書き物なんてできないかのいずれかだったが、最近のはちょっと様子が違う。脳の活動が落ち着いてきて、良いことも悪いこともほじくりかえさなくなった。そのかわりに書けなくなったという気がする。

 それが良いことなのかはまだわからない。というか良いか悪いかは自分で決めることだろうが、それを決められるだけの判断力とか体力とかがまだない。

 不相変すぐにくたびれてしまって困る。しかしましにはなってきている。長い目で見なければいけないと思う。

 おわり


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