自分の抑うつについて【日記7・17】

 調子が下がり気味である。後学のために、いまの気分を書き残しておく。

 このところは調子が下がると眠り過ぎ、あるいは起きられないことが多い。おそらく薬が効いているのだろう。療養に入った当初は夜ほとんどあるいは全く眠れない日の方が多かった。眠れないよりは寝すぎるくらいの方が有難いという気もする。

 僕の症状は──詳しく書くと病名が三つくらいつくのだが──とにかく一番に解決したい症状としてあるのが、双極性障害による気分の変動である。

 僕の場合はおおよそ半年間隔くらいで大きな気分変動の波があり、いわゆる躁の状態と鬱の状態がやってくる。じゃあ半年間ずーっと鬱や躁が続くのかというと、もちろんそういうわけではなくて、もっと小刻みな波が自分の中でさざめいている感覚がある。フーリエ変換したら何種類かの波が出てくるはずである。

 気分の変動なんて誰にでもあるだろうというのも尤もである。僕も自分の気分変動について、従前はまあこんなもんだろうと考えていた。要はスペクトラムであり、気分変動が自分や他人に苦しみや不便や迷惑を発生させてしまうような状況であれば、治療という形で対応するという話である。

 このところは調子が下がってくると、何もかもに靄がかかったように、頭も身体もうまくはたらかない、という状況に陥る。コロナ後遺症のひとつとしてブレインフォグという症状があるようだが、もしかしたらこんな感じなのかもしれないと身につまされる思いである。

 身体の方では、骨も肉も血も鉛に変わってしまったようでうまく起き上がれない。それでも数十分かあるいはそれ以上の時間をかけて無理矢理起き上がると、身体のあらゆる部分がぴったりと合っていかないちぐはぐな感覚があって、たとえば骨はいらいらして今にも暴れて爆発したいような感じがするのに、周りの肉は全然それについていけずに今にも眠りに落ちそうで、その温度差で内蔵が吐き気を催す、というような感じ。

 頭の方では、考えや引っ張り出してきた記憶がすぐに雲散霧消する。ワーキングメモリというのか、一時的にものごとを置いておくためのスペースが、僕の場合は小さくなるという感覚でもない、目を離した途端に消滅するのである。宇宙飛行士が地球に帰って来て、何かの説明する時に無重力空間でそうしていたようにモノを空中に置いて、それが地面にぽとりと落ちてしまって、アレっと狼狽する。あの感じがずっと続くようになる。

 ものごとすべてが色あせて、面白みを失っていく感覚がある。「精彩を欠く」という言葉は実に言い得て妙だと思う。

 僕は文芸が好きな人間だが、書いているものも読んでいるものも何もかもつまらなくなる。今まで自分が積み重ねてきた文芸の道がすべて意味を失ったように感じられる。そしてこれからもこの灰色の世界で生きて行かなければならないように考えが固定されていく。過去にも未来にも渡って僕の人生を侵食していく。

 自分がこう絶望的な人間であることが明らかになってくると、自分などと仲良くしてもらっていることについて、友人や家族に申し訳ないような気持ちが生じてくる。どうか自分なんかは見捨ててほしいように思う。

 無論上に書いたようなものごとは気分変動による一過性の単なる症状であり、そのような感覚が永続することはない。頭ではよく解っているのだが、その理解はいわばメタ的な認知であり、動物的な心や身体は今の状況がすべてといわんばかりに苦しむということになる。

 とにかく、そういうものだと頭でわかっているだけで少しは気持ちが楽になるものである。分かるとは文字通り「分」けることであり、大きな塊に見えていた苦しみや悩みを小さく切り分けて少しは楽に抱えることができるものだ。

おわり

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