推しの子、コインロッカー・ベイビーズ、河童【日記7・13】

 漫画の『推しの子』と、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を交互に読み進めている。

 どっちも正体のわからない親との因縁を辿るような作品だが、狙ってこの二作品になったわけではない。

 『コインロッカー・ベイビーズ』は積読の中から読みたいものを手に取った。つい先だって『限りなく透明に近いブルー』を読んで村上龍に興味が出たから。去年出たばかりの『ユーチューバー』を新鮮なうちに読んだ方が良いのではという意見もあるが、まあ、もうこうなったのでしようがない。

 『推しの子』の方はというと僕は有馬かなが好きなのだが、イラストなんかを描こうとして検索ボックスに「有馬かな」と入れるとサジェストに「有馬かな 死亡」とかホントかウソかわからないワードが出てきて肝を冷やすのが厭になった。だけではなくて、もちろん面白そうで早く続きを読みたくなったからという理由もある。

 それで二作品を読み進めていたらほとんど同じようなタイミングで両方の作品にアネモネが出てきた。因果なものである。

 僕は占いとか霊感とか、スピリチュアルなものごとは信じないたちだが、書物との出会いだけは縁のものだと信じている。石巻へ旅行へ行く道すがらに大宮駅のキオスクで『キリエのうた』をジャケ買いしたり、志賀直哉の『和解』を読んだ直後に友人と仲直りをしたり。もっとも後者は僕がちょっと殊勝な気持ちになっていただけかもしれないが。

 その時々で自分にとって必要な書物が目の前に現れると信じている。だからいつまでたっても積読が減らない。

 『推しの子』を読み進めていて、芥川の『河童』に醜聞についての言及があったことを思い出す。

 曰く河童の世界では〈……醜聞には違いありません。しかしわたし自身こう言っていれば、だれも醜聞にはしないものです。哲学者のマッグも言っているでしょう。『汝の悪は汝自ら言え。悪はおのずから消滅すべし。』〉とかいうことである。嘘を言う側も聞く側も嘘ッぱちだとわかっていながら吐き続けている人間の世界とは対照的である。

 芥川全集を東京の家に置いてきてしまった。あれは僕の人生で一番でかい積読だ。それにもうすぐ河童忌である。今年はお参りに行けるだろうか。

おわり

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