夏が夏って気づく頃には(『花図鑑』)【日記7・22】

 素敵な曲を見つけた。


 『花図鑑』という曲。四分くらいの曲なのでぜひ聴いてみてください。え、時間が無いって? じゃあこんな日記今日の分は読まなくて良いので曲だけでも聴いていってください。

 もっと早くに見つけたかったという気持ちもありつつ、夏のはじめの今の時期にこの曲に出会えて良かったという気持ちもあり。

 今日は18きっぷで東京から帰阪しているのだが、出発の王子駅で列車を待っていると、ホームの向かいの飛鳥山公園の鬱蒼とした木々の合間からたくさんの蝉たちの声が寄り集まって、一本の川のせせらぎのようにこちらへ流れてきた。

夏が夏って気づく頃にはもう過ぎ去ってしまうのだろう

NELKE(RIRIKO) - 花図鑑

 青く高い空とか、白い入道雲とか、照り付ける太陽とか、セミの音とか、打ち寄せる波とか、砂浜とか、アイスクリームとか、緑の山とか、麦わら帽子とか、縁側とか、風鈴とか、宿題とか、夕暮れとか、提灯とか、夜店とか、夕闇咲いた花火とか。

 その全部が自分のなかで「夏」として完成する頃には、夏は過ぎ去ってしまっている。駆け抜けてきたはずなのに、振り返ったら、もう追い付けない。切ないなあ。

大人になってしまうほどに
これが僕って気付かされる

NELKE(RIRIKO) - 花図鑑

 ある一定の年齢を超えた頃から、自分の形がくっきりと定まりだしていることを意識する機会が増えた。

 自分というものの定義が変わってきたと感じる。つまり、幼い頃の「自分」とは道を選べる可能性を総合したものだった。それが歳を取ると、選んだ道を総合したものが「自分」とされるようになる。

 将来はどんな職業につきたいとか、あれも勉強したいこれも知りたい、どこへ住みたい旅してみたい、いつごろ誰と出会ってどんな友人や恋人や家族がいるかもしれない? 

 こどもの頃そんな質問に簡単に答えられたのは、その可能性がぜんぶ自分自身だったからかもしれない。

 自分自身を意識して形づくることは極めて難しい。夏を「夏」として過ごすことが難しいように。駆け抜けてきて振り返って、そこに自分の姿があることに気付かされるだけだ。

 ……いろいろ書いたが、別に解釈とか考察とかいうものではなく、ただ僕が曲を聴いて思ったことを好き勝手書いただけなので、自由に聴いてみてくださいね。素敵な曲なので。

 音楽的な話をすると、僕はこういう IV-V-VIm っぽいコード進行が入っている曲にめっぽう弱い。すぐに好きになってしまう。十代前半に東方の曲を聴きまくったせいだと思う。

 私的には割と参ってしまいそうな状況を生きているのだが、でもこれが僕なんである。またもう少しして振り返ったときに満足できるように、素敵な曲を聴きながら頑張ろうと思います。

おわり

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