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創作についてのnoteまとめ

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Opiumが書いた創作、文学などについてのnoteまとめです!
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記事一覧

比喩とはモノではなくイメージを結び付けること

『少女は太陽のように笑った』  文章を見て太陽を思い浮かべたあなた!  それ、ちょっと作者の思惑と違うかもしれません ○比喩表現とはイメージを結び付けること『少女は太陽のように笑った』  という文章を読み解いてみる。  つまり少女の笑顔は表面温度6000度なのだ。  ……そんなわけがない。  『太陽のように笑った』  と言われた時私たちが思い浮かべるのは、明るく、エネルギーに満ちて、温かみに溢れ、見ているこっちまで晴れ晴れとした気持ちになるような、そういう爽快な少

私小説はフィクションである

 「私小説って自伝みたいなやつだよね」  普段私小説を書いていてよく言われる言葉だ。  これはある意味正解かもしれないが、僕の考えとはちょっと違う。  僕は私小説も“フィクション”だと捉えて執筆している。 ○自伝と私小説のちがい 自伝と私小説の違い、それは作者と作品の関係性、距離感ではないだろうか。  自伝という作品は、作者に非常に近いところで存在している。作者の人生という現実と一つになって、初めて完成する作品が自伝だ。  対して私小説は、自伝と比べて、作品が作者と

芥川龍之介『鼻』――人に笑われることを恐れた内供

 『鼻』は芥川初期の短編だ。禅智内供という長い長い鼻を持て余した僧侶が、面白く描かれている。  この物語はよくコンプレックスや自尊心に結び付けて語られるが、もっと単純に読み解くこともできるのではないかと思う。禅智内供はただ「哂われたくなかった」のだ。  こうして読解していくと、『鼻』が結構アイロニカルな作品であることがわかってくる。 自尊心による苦しみ 『鼻』の冒頭、内供の心境について〈実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである〉とある。  禅智内供は、

「下人の行方は、誰も知らない」のはなぜ?――芥川は下人を突き放した

「下人の行方は、誰も知らない。」  芥川初期の短編であり、現代文の教科書にも掲載されている『羅生門』の有名すぎると言っても良いラストシーンだ。  でもどうして下人の行方を、誰も知らないんだろう? 僕なりに考えてみた。 ラストシーンは二度書き換えられていた この印象的なラストを語る上で、欠かせない事実がある。  『羅生門』の有名な最後の一文は、2回書き換えられている。すなわち3つのバージョンが存在するのだ。まずこの3種類のラストについて発表順に紹介していく。ご存知である

必要なのは語彙を活かす力

 普段文芸に縁の無い友人に「たまには何か書いてみなよ」と言うと、決まって「語彙力ないし無理ムリ」と返される。  しかし果たして、小説を書く上で、語彙力は必要なのか。逆に語彙力さえあれば小説は書けるのか。 言葉のポテンシャルを最大限引き出す力 言葉には、広く浅い意味を持つものと、狭く深い意味を持つものがある。多くの場合、「難しい」「語彙力ある」と言われる言葉は後者だ。  結構な確率で、難しい言葉で書く=レベルの高いことだと思われている。  しかし実際は「深さ100の言葉