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友だちについて

僕は、友だちが少ない。

世間では、一般的に、友だちが多い方が、友だちが少ないよりも、価値があることのように思われる傾向にある。

と言うことは、僕は、いい年をして、残念な奴だということになりそうである。

いずれにせよ、友だちが少ないと、周囲からネガティブに見られがちなので、学生時代など、友だちがいなくて教室で孤立したり、昼休みに1人で弁当を食べるというのは、肩身が狭いと考えられる。それがイヤだからと、トイレの個室で「ぼっち飯」を食べるなんて話まで耳にする。

つきあいの悪い奴だと思われて、仲間外れにされたくないから、行きたくもないのに、休み時間になるとみんな揃ってトイレに行き、昼休みには一緒にランチを食べ、放課後は寄り道してカラオケやゲーセンに行く。くだらない内容のLINEにもこまめに返信したりスタンプする。逆に、そういう仲間内のつきあいをサボると、仲間外れにされたり、イジメの対象にされたりする。

就職してサラリーマンになっても似たようなことは続く。組織内の空気を読み、同調圧力に逆らわず、飲み会やゴルフもサボらずに参加するのが、協調性のあるイイ奴だということになる。その逆もまた真なりである。

繰り返すが、僕には、友だちが少ない。

学生時代も、サラリーマン時代も、あまり周囲に迎合せずに、気が向かないこと、やりたくないことは極力やらず、他人と群れることもなく、ひたすらマイペースを貫いていたからである。

とはいえ、何か確固たる信念があったからではない。単に面倒臭かっただけであるし、別に無理してまで、友だちや仲間が欲しいとは思わなかっただけのことである。

誰かと一緒にいないと不安に感じる人が世の中の多数派なのかもしれないが、僕は、昔から「おひとりさま」が苦にならない。というか、「おひとりさま」の方が気楽で好きなのだ。

とはいえ、断固として1人でいたいと思うほど、確固たる信念というか信条があるわけではないから、状況次第では、誰かと「つるむ」こともある。あくまで、状況とタイミング次第である。それと相手にもよる。一緒に過ごしてあまり楽しいとは思えない相手と、無理してつきあいたくはない。

こんな調子なので、学生時代からの友人、銀行時代からの友人で、今でもリアルに交友関係があって、定期的に連絡を取り合ったり、たまに会って、食事をしたり、飲みに行ったりするような相手は、それぞれ片手で収まる。

同じ学校とか、同じ職場での友人・知人というものは、単なる利害とか打算に基づく関係に過ぎないし、学校を卒業したり、退職・転職したら、つきあいがなくなるようであれば、それは本当の友だちではないのだろうと思う。だから、それぞれ片手で収まるとしても、いまだに関係が続いているのであれば、それは本当の友だちと言っても良いかもしれない。

こちらも既に若くないのだから、交友関係を広げるよりは、むしろ交友関係を整理縮小する方向で取り組むべきだと思う。「世間が狭くなる」という言い方をすると、何やらネガティブな印象になるが、ある程度の年齢になれば、むしろ積極的に世間を狭くする努力をした方が良い。人生の残り時間は決して多くないのだ。どうでも良いような相手との交際に無駄な時間を浪費するのは馬鹿げている。

年賀状のやり取りくらいしかつきあいのない間柄の人たちは、友人の範疇に含むべきではない。したがって、本当は年賀状なんか全部廃止してしまいたいのだが、向こうから送られてくるから、なかなかすぐにはやめられないもない。それでも、少しずつは整理をして、直近においては、現役時代のピークの4分の1くらいの分量にまでリストラすることはできた。向こうもだんだん年を取るから、あと数年でさらに半分未満にまで削減できそうである。

友だちが少ない。大いに結構である。どうせ、死ぬときは、1人なのだ。

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