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レイヤーを上げて考えることについて

いま戦闘状態にあるイスラエルとハマスとは、たぶんどちらも自分たちが絶対的に正しくて、相手が絶対的に間違っていると思っているはずである。

この地域というのは、ホントにややこしくて、争いのタネを遡り始めたら、古代イスラエルの建国の話とか、モーゼの出エジプトとか、バビロン捕囚とか、いつの時代やねんというような話にまで行き着くし、近世以降だって、この地域は列強の都合により翻弄されて、オモチャのようにされてしまっている。

こういう言い方をすると身も蓋もないが、両方が100%納得いくような抜本的な解決策というのは、たぶん存在しないんじゃないかと思う。

こういう国家レベルの争いに限らず、もっとスケールダウンした話、たとえば企業内部での意思決定においても、似たような話というのはある。

何か戦略的なレベルの方針策定をするような場合に、基本的な考え方の違いで真っ向から対立するようなケースである。どちらも自分たちが正しくて、相手方はまるきり見当違いであると信じて疑わない。よくあるのは、営業畑で業績推進重視のイケイケな陣営と、管理部門の堅実路線重視の陣営とで意見が相容れず社内抗争に陥るような話である。

哲学論争みたいなもので、どちらも住む世界、世界観が違うから、理屈で説得しようとしても解決しそうもない。きわめて厄介である。さすがにイスラエルとハマスみたいに殺し合いはしないが、それだけにもっと陰湿でタチが悪かったりする。

こういう場合に必要なのは、視座を上げる、レイヤーを上げて考えるということなのだろう。

メタ認知力と言い換えても良い。

自分のところの部門だけにとらわれていると、たぶん自部門の論理でしかモノを考えられない。

他部門も含めて、全社レベルを俯瞰できるような視座でモノを考えることができれば、ホントのところ何が会社にとって望ましいのかが見えてくる。

自分を一旦突き放して客観的にとらえること、自らの認知(考える、感じる、記憶する、判断する等)を第三者的な立場から認知するという意味でもある。

先ほどの企業の例で言えば、業績推進も管理部門も企業の健全な発展のためには両方とも不可欠であり、バランスを取ることが必要なのである。どちらかに偏り過ぎるのは良くない。当たり前のことである。だが、その当たり前のことが、自部門の利益ばかりにとらわれていると、わからなくなってしまうのだ。

中東問題は、そんな簡単なハナシではないと思うのだが、延々と殺し合いと報復を繰り返していても、何も生まないということは、たぶん誰の目にも明らかである。今のような状態を続けていても、たぶん今世紀末になっても、結局のところ、同じ状態のまんまであろう。

となると、あとは金銭的な解決しかないのではないだろうか。ユダヤ人はおカネはたくさんあるんだし、領土で妥協してもらう代わりに十分すぎるくらいの金銭的な補償をするといったような話である。狭い自治区で不自由な生活をしてもらう代わりに、世界中、どこでも好きなところに住めるくらいのおカネを払うとなれば、凝り固まった考え方の人たちも少しは態度が軟化するのではないだろうか。

否、もはやカネの問題ではないということかもしれないが、殺し合うよりは、金銭的な補償で納得する人たちもいるだろう。そうやって粘り強く交渉していけば、いずれは世代交代も進み、態度を硬化させていた住人も減っていくだろうし、最終的には、「なんで争っていたんだっけ」というような具合に、一気に解決に向かうかもしれない。

正論と正論をぶつけあっていても、たぶん未来永劫、何も解決しないし、この問題についても、レイヤーを上げて考える必要があると思う。


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