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万年筆について

僕は大学を卒業以来、ずっと事務系のサラリーマンであったが、仕事で万年筆を使う習慣はなかった。

それでも、今までの人生において、何本かの万年筆を持つ機会はあったのだが、あまり万年筆にはご縁がない。なにしろふだんの仕事では、シャープペンシルとボールペンがあれば用が足りるし、まとまった文章を書く場合には、パソコンを使うからである。

それでも万年筆に対する「憧れ」のようなものはあった。ふだんはボールペンでも良いが、何か大事な署名をするような場面では、愛用の万年筆を使うようなオトコでありたい。もう若くもないし、ちゃんとした書類に署名をするシーンが自分の人生であと何回あるんだろうかとか考えると、少しお高い万年筆の1本や2本は持っておきたい。そういう妄想あるいは願望みたいなものは前々からあった。

具体的に万年筆の購入を思い立ったのが1年かそこら前のこと。ネットや書物で万年筆のブランドや評判を調べるようになり、文具店の店頭で書き味を試させてもらったりもした。その中で、これはと気になるようになったブランドが、「ペリカン」社の「スーベレーン」である。

スタイルは何やら野暮ったい。昔ながらの万年筆という感じである。ライバルの「モンブラン」の万年筆は流線形であるが、「ペリカン」の方は直線的というか無骨な感じ。でも、手に取ってみると、いい感じに手に収まる。

大きさやグレードによって何種類かあるが、僕が購入したのは、「M1000」という最上あるいは一番大きなものである。いろいろと試してみて、自分の手に一番フィットしたのと、適度な重量感が気に入ったからである。あとペン先の書き味がとても柔らかい。筆圧がなくてもスルスルと文字が書けてしまう感じである。

この万年筆、外見も少々無骨であるが、インクもカートリッジではなくて、吸入式である。ペン先をインクのボトルに突っ込んで、尻軸の吸入ノブを回すことにより、ピストンを上下させてインクを吸入する方式である。注射器で薬液を吸い上げるイメージだ。少し手間がかかるところも含めて何やら良い。

最初、Amazonで買おうかと思ったのだが、万年筆のペン先というものは非常にデリケートで1本ごとに感覚が異なるし、微妙な調整が必要な場合もあるという話を聞き、万年筆のベテランの職人さんがいる専門店で購入することにした。その店で購入した万年筆であれば、何年たっても責任もって調整や修理に応じてもらえると聞いたからである。

万年筆は使わずに放置しているとペン先のインクが乾いてしまって書けなくなってしまうとのこと。だから、たまに取り出しては、文字を書く。万年筆を買ってから、手で文字を書くのが楽しくなってきたので、ペン習字のテキストまで買ってしまった。で、テキストを眺めつつ、しばし文字を書く練習をする。気晴らしにもなり、なかなか楽しい。万年筆のインクに馴染みそうなノートまで購入した。

僕は字を書くのがすごく下手なのが前々からのコンプレックスなのであるが、万年筆の良いところは、下手は下手なりに、味のある文字に見えてしまうことである。したがってペン習字のテキストは買ったものの、結局、相変わらずの我流の下手な文字で満足してしまっている。

せっかくの万年筆であるが、当初の目論見のような「何か大事な署名をするような場面」というのは、まだ1回か2回くらいだけである。それも別にボールペンでも十分であったところを、せっかくだからと僕が万年筆を出動させたに過ぎない。

それでも書き味は滑らかであり、自分がちょっと大物になったような感じに気分が高揚し、なかなか心地よい体験であった。

池波正太郎の『男の作法』というエッセイ集に、万年筆のことも書いてあった。万年筆というものは男の武器のようなものであって、「それに金をはり込むということは一番立派なことだよね。貧乏侍でいても腰の大小はできるだけいいものを差しているということと同じ」とあった。

まさに僕のことを言っているのかなと思った。「貧乏侍」というところが僕にぴったりである。



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