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在庫について

在庫が多いことは良いのか悪いのか。これは宗教論争みたいな話である。

財務分析的な観点では、在庫が少ない方が良いとされている。在庫=おカネが寝ていること、だからである。それだけ余計に運転資金がかかるし、在庫の陳腐化・劣化リスクもある。

「在庫回転期間」とか「在庫回転率」という指標がある。算出方法は、細かくはいろいろある。売上を年商で考えるか、月商で考えるかとか、売上ベースで考えるか、売上原価ベースで考えるか等である。

簡単に言えば、「在庫回転期間」とは、「在庫が1回入れ替わるのにかかった期間」であり、数値が小さいほど、当該商品を在庫として抱えている期間が短いということを意味する。

「在庫回転率」というのは、「商品がどの程度のサイクルで売れているのか」であり、基本的に数値が大きいほど、その商品が企業の売上に貢献していることを意味する。

つまり、両者は概念としては逆数である。

財務分析的には、そういうわけで、「在庫回転期間」が小さい、つまり「在庫回転率」が大きいほど、指標としては良いとされるのだが、これは、「できるだけ在庫は持たない」とか、「在庫はギリギリまで圧縮する」という発想につながりやすく、欠品が発生しやすくなってしまう。

医療機器メーカー大手で、カテーテル等を製造しているテルモは、在庫圧縮に取り組んでいるという。

カテーテルというのは、用途別やサイズで非常にアイテム数が多い。脳外科や心臓手術といった緊急性を要するオペに使用されるものであるから、欠品は即人命にかかわってしまう。したがって、安定供給を最優先に、在庫を多めに余裕をもって抱えるしかない。テルモに限らず、低い資産効率は医療機器会社の宿命と言える。

そうした中で、CFO直轄組織として、<日米欧の社員約100人からなる新部門「グローバルビジネスサービス(GBS)」を立ち上げ>て、<サプライチェーン(供給網)管理など業務効率化>に取り組むこととなり、その中でも狙いの1つが、在庫の適正化であるという。

<新組織では患者優先を貫きつつ、(中略)国内外の生産拠点で統合基幹業務システム(ERP)を導入し、どの工場にいても在庫や販売実態をリアルタイムで把握し生産量を調整する。これまで需要予測の精度に課題があり在庫の偏在・余剰があったが、欧米などで配送ルートや倉庫の活用を見直し、最適な配置につなげる。>とのことで、いわば聖域であった在庫圧縮に着手することになる。

ただし、先ほども書いたとおり、業種柄からも、欠品リスクを負うのは絶対に避けなければならない。在庫を圧縮しつつ、欠品を回避するギリギリのラインをどうやって実現するのだろうか。

一方で、トラスコ中山という、機械工具、屋外作業現場用機具などの卸売企業がある。

先日も、テレビ番組で紹介されていたが、この会社は潤沢な在庫を抱えることで、取引先からのあらゆる注文に即時対応することを「売り」にしているとのことである。

この会社も上場しているから、財務情報はHPから閲覧することができる。

23年12月期の決算では、売上高2,682億円で、総資産2,449億円、在庫508億円となっている。概算すると、総資産回転率は、1.10回であり、在庫回転期間が、月商ベースで2.3ヶ月、在庫回転率は、5.3回となる。在庫回転期間と在庫回転率は、逆数の関係なので、かけ算すると、12になる。

テルモの方も、財務情報はHPから閲覧できる。

23年3月期の決算では、売上収益8,202億円、総資産16,022億円、棚卸資産2,496億円となっている。同じ算式で概算すると、総資産回転率は、0.51回であり、在庫回転期間が、月商ベースで3.7ヶ月、在庫回転率は、3.3回となる。

こうして見てみると、潤沢な在庫の確保を売り物にしているトラスト中山よりも、テルモの方が、在庫ボリュームがかなり「重たい」印象になるのは否めない。

だが発想を変えれば、取引先から見れば、在庫が何回転しているか、というのは意味のない数字である。トラスコ中山では、在庫回転率は敢えて見ずに、「在庫出荷率」という独自指標を重視しているという。これは、注文に対して、どれだけ自社在庫から出荷できたかを表す指標である。

まれにしか需要は少ないものまで含めて、フルラインで取り揃えているというのは、マーケティングにおける「ロングテール戦略」である。バランスシートが重たくなるし、資金効率が悪くなる。昨今の尺度では、決して見栄えが良くないが、ニッチなものまで含めて在庫として取り揃えることで、あらゆるユーザーのニッチな要望に応えることができることが、取引先からの信頼のベースになるという発想であろう。トラスコ中山の在庫出荷率は、90%を超えており、在庫からの出荷はリードタイムの短縮につながり、基本的には受注当日、もしくは翌朝納品を可能にしているという。

ここで注意をしないといけないのは、テルモはメーカーであり、トラスコ中山は卸売業である点である。テルモの場合、ユーザーである医療機関と自社との間に、日本では医療機器卸売業者が介在している。テルモが在庫の圧縮、財務効率の改善に取り組んだ場合、欠品を心配する医療機関は、卸売業者に在庫を持たせるか、自分のところで在庫を抱えるという動きをする可能性がある。

日本の医療業界の場合、川上のメーカーと、川下の医療機関に比べると、中間にある卸売業者の力関係が弱く、いろいろな矛盾の捌け口になってしまっているところがある。

そう考えると、テルモが在庫を圧縮すると、それは中間業者である卸売業者の在庫の増加につながり、流通経路全体としてはあまり何も改善しない。結局のところ、誰がリスクを負うのかという、リスクの押しつけ合いの問題になりそうな気がする。

そういう意味では、医療機器卸業界においても、トラスコ中山のような、資金力もあり、自社独自の在庫管理システム、配送システムを擁するメガ業者が出現することが望まれるのかもしれない。現状では、医療機器卸業者というのは、各エリアごとの中小零細業者が多くて、全国区レベルでマーケットを仕切れるところは存在しないのだ。

他の業界同様に、日本の中小企業は後継者難であり、だんだんと転廃業する企業も出ている。医療機器卸業界においても、今後、M&Aを通じた経営統合が進展することで、トラスコ中山みたいな立場の「スーパー医療機器卸売業者」が出現することになるのかもしれない。

あるいは、医療業界の参入障壁が今よりも緩和されるようなことがあれば、Amazonのような外資が一気にマーケットを制覇してしまうことになる可能性も十分にある。

いずれにせよ、現状のままでは終わらないであろう。

なお、頭の体操みたいな話になるが、ROE(自己資本利益率)が上がれば、世間の評価が上がり、企業の時価総額も増える。日本企業は、海外の同業者に比べて、ROEが低い傾向がある。株主からの圧力が海外よりかマイルドだからであるが、そういう意味では、テルモに関しても、株価上昇の「伸びしろ」はあると言えよう。

ちなみに、ROE=売上高利益率 ✕ 総資産回転率 ✕ 財務レバレッジ という計算式が成り立つ。

したがって、総資産回転率が改善すれば、利益率や、財務レバレッジが同水準でも、ROEは改善することになる。

ROEを上げるために、資産効率を上げるのか、利益率を上げるのか、はたまた借金を適度に増やしてレバレッジを上げるのかといった難しい経営判断をするのは、経営者にとっての永遠の課題となる。

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