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「SL理論」について

企業経営者とオーケストラの指揮者というのは、組織のリーダーとして共通する部分が多い。

イタイ・タルガム著『偉大な指揮者に学ぶ 無知のリーダーシップ』という本がある。オーケストラの指揮者について、リーダーシップ論の観点から論じている。

本書の中で、リッカルド・ムーティとカルロス・クライバーが、対極的な指揮者として取り上げられている。

<ムーティが手綱をしっかり握り、音楽のすべての面について自分の解釈を押し付けたのに対し、クライバーは楽団員にも常に解釈に加わるように求めるなど課題を与えつづけた。>

<ムーティの支配はトップダウン型だが、(中略)まるで常に取締役会の厳しい目にさらされ、取締役会を満足させようとあからさまに努力する企業経営者のようだ。>
<指揮者は作曲家の代弁者として唯一無二の権限を持つべきである、(中略)唯一無二の正しい解釈(すなわち自分の解釈)を実行するプロセスのすべてをコントロールする権限である。>

<クライバーの(中略)奏者への要求はきわめて高く、言われたことだけを粛々とやっていたいという働き手ではまったくやっていけない。クライバーと働くには、常に自分の頭で考えつづけなければならない。さもなければ取り残されてしまう。>

ムーティが強権的で、クライバーが民主的なリーダーだから、フォロワーとして仕えるならば、クライバーみたいなリーダーの方が働きやすそうだというような単純な話をするつもりはない。

リーダーと組織との関係において、「かみ合わせの良し悪し」のようなものがあって、組織メンバーの成熟度とか環境、置かれた状況等によって、最適なリーダーのあり方も異なってくるというのが正解に近い。

ハーシー&ブランチャードの「シチュエーショナル・リーダーシップ理論(  SL理論)」というのがある。野中郁次郎著『経営管理』での解説によれば、<リーダーシップの有効性は、部下の成熟(自律性)の度合いに依存する>のだという。すなわち、<①部下の成熟度が低い場合には、リーダーはタスク志向が高く、人間関係志向の低い行動をとる、②部下が成熟度を高めてくるに従って、必要なタスク行動と人間関係の双方のウェイトを同時に高める、③さらに部下が成熟度を高めてきたら、タスク行動はなるべく抑え、人間関係重視に移行する、④部下が完全に自律性を高めてきたら、タスク行動も人間関係も最小限にとどめる>べきであるという。

同じチームを率いていても、チーム・メンバーが未熟な段階と、徐々に成長してきた段階、しっかりと仕上がった段階では、あるべきリーダーのマネジメントスタイルも変化しなければならず、ずっと同じやり方を貫こうとすると、どこかでうまくいかなくなってしまうということになる。

ムーティが指揮するような世界的なオーケストラの場合、楽員全員が超一流のプロであるから、強権的に押さえつけようとしてもうまくいかず、反発を買うことになる。実際に長らく音楽監督を務めていたスカラ座で、ムーティは最終的に楽員から総スカンを食うような格好で退任している。

一方、クライバーのようなやり方だって、相手がウィーン・フィルやベルリン・フィルではなくて、アマチュアの学生オーケストラだったらうまくいかないだろう。成熟度が低い組織に関しては、ムーティ式に軍隊のように強権的なマネジメントを発動しないことには統制が取れない。

「人を見て法を説け」という言葉がある。すぐれたリーダーというのは、目の前の部下の現状のレベルや成長具合を見きわめながら、リーダーとしての自身のマネジメント・スタイルを臨機応変に変えられる人である。

一本調子にどんな状況でも同じスタイルを貫こうとするようなリーダーは、あまり優秀とは言えない。「オレ流」が、たまたま「ハマる」場合もあるかもしれないが、それは単にたまたま「かみ合わせ」が良かっただけであり、再現性が保証されるわけではない。





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