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「百人一首」について

10年以上も前のお正月、ふと思うことがあり、百人一首の全ての句を暗誦できるようになろうと志したことある。

一種の脳トレ、あるいはボケ防止である。渡部昇一の『クォリティライフの発想』にも、詩であったり、歌謡曲の歌詞を正確に覚えることは、脳の働きを活発にするというようなことが書かれていたと思う。

そういうわけで、百人一首の句を、毎日、5首ずつ最初から順番に覚えていった。月曜日から金曜日までで計25首。土日は1週間分の復習にあてることにした。こんなやり方で4週間かけて、全100首を全て覚えることができた。

それからもうずいぶんと時間が経過しているので、今では、記憶もかなり怪しくなっているが、それでもだいたいの句は、上の句を言われたら、下の句が口をついて出てくる。まだボケてはいないらしい。

高校生の古文の勉強ではないから、文法的に厳密な検討をしたわけではなかったが、暗誦しているうちに、昔、習った「係り結び」とか「活用」を思い出したものだし、何回も暗誦していれば大意はわかる。オトナになってからの勉強は、あまり細かいことを言わない方がいい。

百人一首は、藤原定家が編纂したものであるが、これが定家セレクトによる「オールタイムベスト」かとなると、必ずしもそういうわけではないと思う。

定家も朝廷に仕える役人だから、エラい人への忖度は当然に必要である。皇族や、摂関家のおエラいさんの歌が新旧まんべんなくカバーされているあたり、あれこれと苦心しつつバランスを取ったであろうことが窺われる。接待ゴルフで、エラいさんがティーショットをダフッても、「ナイスショット」と言わなければならないサラリーマンと少し似ているのかもしれない。

それにしても、単なる言葉遊びだけであったり、月並みな比喩表現だけのような、詠んだ歌人の真心がまるで伝わらないような歌も少なからず含まれているのは、いかがなものかと思ってしまう。

もっとも、和歌というのは、当時は単なる文芸の域にとどまらず、外交や政治の世界での駆け引きのツールのような使われ方もされたというような話を聞いたことがある。だとすれば、技巧的に凝った歌をTPOに応じて、いかようでも詠めることこそが、優れた歌人の評価基準であったのやもしれず、そういう意味では、詠み手の本音などそもそも必要なかったのかもしれない。

僕はド素人だから、自分の嗜好に基づく評価しかできないが、好きな歌を10首だけ挙げるならば、以下のとおりである。

清原元輔
 契りきな かたみに袖を しぼりつつ
 すゑの松山 波こさじとは

藤原實方朝臣
 かくとだに えやはいぶきの さしも草
 さしも知らじな もゆるおもひを

大貳三位
 有馬山 ゐなの笹原 風ふけば
 いでそよ人を 忘れやはする

小式部内侍
 大江山 いく野の道の 遠ければ
 まだ文も見ず 天のはし立て

崇徳院
 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の
 われても末に あはむとぞ思ふ

皇太后宮大夫俊成
 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
 山の奥にも 鹿ぞなくなる

藤原清輔朝臣
 永らへば また此頃や しのばれむ
 うしと見し世ぞ 今は戀しき

皇嘉門院別当
 難波江の 蘆のかり寝の ひと夜ゆゑ
 身を盡くしてや 戀わたるべき

入道前太政大臣
 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
 ふりゆくものは わが身なりけり

権中納言定家
 來ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
 やくや藻塩の 身もこがれつつ

どうしてこの10首なんだと問われても、なかなか説明しがたい。来年になったら、また別の10首を選ぶかもしれない。要はその程度のものと思ってもらいたい。


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