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ワンマン経営者の後継者探しについて

以前、中国共産党の話を引き合いに出して、ワンマン経営者の引き際の難しさについて書いた。

日本電産の永守重信さん、ファーストリテイリングの柳井正さん、ソフトバンクグループの孫正義さん、もっと古くは、ダイエーの中内㓛さん(05年没)やセゾングループの堤清二さん(13年没)といった例もある。

こういう場合、後継者が愚物ならば論外として、たとえ超優秀であっても、ワンマン経営者からすれば自分の後継者として、なかなか満足できないに違いない。

愚物の場合は簡単である。自分が命がけで丹精込めて作り上げた大切な会社を毀損させるようなアホはさっさと切り捨てれば済む。

超優秀であってもダメである。優秀すぎる後継者ほど危険なものはない。戦国大名とかであれば、寝首を搔かれるかもしれないからだ。独裁国家の独裁者ならば、権力を譲り渡した途端に難癖つけて命を狙われるかもしれない。親子とか身内であろうと関係ない。古代中国で皇帝と皇太子で揉めたケースはいくつかあったと記憶している。

同様に企業経営者の場合も、なまじ自分よりも優秀な後継者だと、せっかくのこれまでの自分の輝かしい業績が色褪せて見えるかもしれないし、自分の現役時代の汚点を粗探しされたり糾弾されたりする可能性もある。

要するにホドホドが良いのだ。

アホは困るけど、自分よりもずっと優秀なのはもっと困る。適当に優秀で、ソツがないレベルがちょうど良い。

そんなことよりも何よりも欠かせないのが、自分に対する絶対的な忠誠心である。心から自分のことをリスペクトしてくれて、絶対に裏切らない人間。そうでなくては怖くて権限を譲り渡すわけにはいかない。

大会社で同じ部門の出身者を後継者に指名することが少なくないのは、秘密を共有しているからだという話を聞いたことがある。外に出たら絶対にマズイような内緒ごとや不正とか不祥事というのは、歴史の長い会社であれば、1つや2つは必ずある。同じ部門でそうした情報を代々引き継いでいる先輩・後輩であれば、いわば共犯者のようなものだからである。一蓮托生というやつである。

だから、内部告発等によって隠していたスキャンダルが運悪く明らかになり、社内外が大騒ぎになった際にも、毛色の異なる部門の出身者とか外部出身者とかがトップを務めていたりすると、何の忖度もなく歴代の先輩たちを叩くことになる。そういう場合も軽傷で済ませたいと思えば、共犯者に後を引き継がせておくのは一種の保険である。

こういうことを考えると、優秀な経営者というのは劇薬みたいなものだということになる。効能もある代わりに、副作用も大きい。長期政権になると、ワンマンになり、ワンマンの周りにはイエスマンばかりが集まり、その結果、若い頃は優秀だった名経営者もだんだんと耄碌して自分の引き際もわからなくなる。

指名委員会がちゃんと機能するようになっていれば、救いがあるかもしれない。だが、指名委員がトップのお手盛りであったり、議論自体がトップの影響下で行われるようでは、何の解決にもならない。

指名委員会のメンバーは、社外取締役と社外監査役のみで、トップは単なるオブザーバーか、必要に応じて意見を聴取する程度にとどめる。社内の論理や事情とは関係ないところでニュートラルな議論ができるようになれば、トップの影響力を排除できる可能性はある。

さらに言えば、将来のトップ交代を見据えつつ、サクセッションプラン・後継者計画を設けて、中長期的な取り組みを行なうことが不可欠である。社内に適任者がいなければ、社外から招聘することも必要だが、どんな資質や能力を備えた人が望ましいのか、そういう人材はどこにいるのか、時間をかけて議論をしておく必要があるからである。

まあ、言うのは簡単だが、そういう仕組みを社内で構築すること自体、ワンマン経営者がいると難しいのであろう。

トップの影響力の及ばないところで後継者について議論しますなどと提案した途端に瞬殺されるかもしれないリスクを冒す人が、社内にいるような気がしないからである。

そういう意味では、いちばん良いのは、ワンマンが体調を崩して退かざるを得ない状況になるか、死ぬことである。

もちろんリスクはある。カリスマ経営者がいなくなった途端に会社がおかしくなる可能性は十分にある。求心力のないサラリーマン経営者が後を引き継いだ途端に、空中分解するかもしれない。

だが、間違いなく禅譲が可能となる。しばらくは、ゴタゴタするかもしれないが、社会に問う何ものかを持った企業であれば、やがてゴタゴタも収まって、何とかなるものである。

何ともならなければ、潰れたらいいのだ。


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