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ウィーン・フィル「ニュー・イヤー・コンサート」について

NHK-BS放送にて、お正月に行なわれたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による「ニュー・イヤー・コンサート」を観た。例年であれば、1月1日夜に放映されるのだが、地震関連ニュースの影響により、今年は1月6日に変更されてEテレで放映された。

今年の指揮者は、19年に引き続き2回目の登場となった、クリスティアン・ティーレマンである。

今回の目玉は、生誕200周年を迎えたブルックナーの舞曲「カドリーユ」が初登場したことであろう。VPOの「ニュー・イヤー・コンサート」というと、シュトラウス一家のワルツやポルカというイメージしかなくて、それ以外の作曲家の作品が登場すること自体、決して多くはないのだが、ブルックナーの作品が登場することも驚きだし、重厚長大の代名詞みたいなブルックナーがこういう可愛らしい舞曲を書いていたというのはもっと驚きであった。

ティーレマン&VPOのコンビは、ブルックナーの交響曲全集を録音してまだ間もないし、ティーレマンにとってはブルックナーは十八番(おはこ)とも言うべき特別な作曲家であることから、生誕200周年の今年のコンサートでブルックナーを採り上げたことは何ら違和感はない。

今回は他にも初登場の楽曲が多かった。アンコール3曲を除く、公式演目全15曲のうち9曲が初登場である。印象として、毎年、同じような楽曲を演奏しているような感じがするのだが、こうやって初登場の楽曲を少しずつ加えていくことで、マンネリ化を防いでいるのであろう。

「ニュー・イヤー・コンサート」でティーレマンがシュトラウスのワルツを指揮しているのを見ていて、ティーレマン&VPOのコンビの来日コンサートを、19年11月にフェスティバル・ホールで聴いたのを思い出した。その際の演目は、前半が、リヒャルト・シュトラウスの交響詩2曲「ドン・ファン」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」で、後半が、ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「ジプシー男爵」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「神秘な魅力(ディナミーデン)」、そしてリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲であった。

ワルツ「神秘な魅力(ディナミーデン)」と言われても、あまりピンと来ないが、これは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」に登場するオックス男爵の有名なワルツの元旋律とされているもの。これと「ばらの騎士」組曲と続けて演奏するところに、指揮者の洒落た意図がうかがわれた。

ティーレマンとウインナ・ワルツというと、なんか「水と油」みたいな取り合わせのような感じがしないでもなかったのだが、来日コンサートの演奏を聴いてみて、ティーレマンのウインナ・ワルツもなかなか味わいがあって悪くないと思ったものだ。ティーレマン同様にワーグナーやブルックナーを得意とした往年の大指揮者クナッパーツブッシュが、ウインナ・ワルツの録音を残しているのを思い出させる。クナの方もちょっとクセはあるが、遊び心を感じさせる面白い演奏だった。

で、今回の「ニュー・イヤー・コンサート」に話を戻すが、アンコール2曲目の「美しき青きドナウ」冒頭が演奏されると、観客の拍手が起こり、演奏を一旦中断、指揮者とVPO楽員からの新年挨拶があって、演奏を再開するというのが毎年の「お約束」であるが、今年のティーレマンの挨拶はいつもよりも長めであり、昨今の不安定な国際情勢を反映したような少々お堅い内容であった。ざっくりとまとめると、戦争とか不寛容さによって引き裂かれた今の世界情勢を批判するとともに、そういう時代だからこそ、音楽の持つ力を信じたいといった趣旨であった。至極当然な内容であるが、少しばかり感動した。

それにしてもの話になるが、VPOの演奏する光景をテレビで眺めていて、女性楽員がとても増えていることに驚かされた。世界トップレベルのオケ中、最も保守的かつ伝統を重んじるVPOもずいぶんと変わったと言わざるを得ないし、時代の移り変わりに改めて気づかされたものである。

たとえば、89年・92年にカルロス・クライバーがこの「ニュー・イヤー・コンサート」に登場した際の映像を見ると、女性楽員は皆無であった。VPOに正式に女性楽員が認められたのは、97年のことである。女性のコンマスが就任するのは、さらに後で、今世紀に入ってからのことで、実に11年まで待たなければならなかったという。

VPOというのは、ウィーン国立歌劇場の座付きオケである「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」の団員から選抜されたメンバーによる自主運営団体である。ウィーン国立歌劇場の楽団員としての身分は公務員ということになるが、VPOの方は常任指揮者も置かず、定期演奏会のプログラムの選曲や、招聘する指揮者を誰にするかについても、すべて自分たちで決める民主的な組織であり、そうした点に関しては、親睦会や同好会、草野球チームとあまり変わらない。

したがって、オーストリアまたは旧ハプスブルク帝国支配地域出身の男性で、しかもウィーン国立音楽大学で先輩楽団員から直接指導を受けたような「身内」のメンバーが多くなるのは仕方がないことで、そういう濃密な人間関係によって、自分たちの伝統的な奏法とか文化、音楽観を大切に守ってきたのだとも言える。

男性楽員の立場からすれば、生理休暇や産休・育休を取るようなメンバーを仲間として認めたくないといったメンタリティも理解できなくはないし、自主運営団体であるVPOとしては、昔ながらの自分たちの流儀で運営することに関して、部外者からいちいち指図される筋合いはないと開き直りたくなるのも理解できる。

世の中の流れとして、ジェンダーによる差別がだんだんと許されなくなってきているのは間違いないとしても、一方で伝統的な昔ながらのやり方を頑なに守っている分野も世間では少なくはない。

具体例を挙げれば、日本の皇室典範である。男系男子しか天皇として認めないという現行ルールがいつまで存続できるかどうか知らないが、男系という運営を突然やめてしまうことによって、長年、大切にしていたものが断ち切られるリスクの重みをよくよく考えた上で、皇室の今後の在り方を議論すべきであろう。一旦、女系天皇を受け容れてしまったら、元に戻すのはおそらく不可能であるし、ここまで連綿と続いてきた現在の皇室の系譜は断ち切られてしまうのだ。

他にも、女性が横綱審議委員にはなれても、大相撲の土俵には上がれないことであったり、大峰山のような女人禁制の修験道の山であったり、女性の立ち入りが禁じられている沖ノ島も同じであろう。女性を排除する科学的、合理的な理由はない。でも、そうした伝統が長年にわたって守られてきた事実についてはリスペクトされてもよい。

これらとVPOを同列に議論することの是非については、意見が分かれるのであろうが、伝統というものは、それが受け継がれてきた理由であったり、意味があるということについて理解しなければならないし、それらをリセットすることによって失われるものがあるということについても十分に配慮する必要があると思う。

私見であるが、ライバルのベルリン・フィルは世界中から腕利き奏者を集めて多国籍企業みたいになりつつあるが、ウィーン・フィルが同じ路線で張り合う必要はまったくないと思う。良い意味でのローカル色や伝統を大切に守りつつ、いつまでもオンリーワンな存在であってもらいたい。ウィーン・フィルは、その存在自体が「世界遺産」みたいなものだからである。サッカーにたとえれば、レアル・マドリードのようなBPOに対する、バルサのような存在と言えるのではないだろうか。





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