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「リベラルアーツ」について

「リベラルアーツ」とは、文字どおり、「奴隷ではない自由人のための学芸」ということになる。

古代ギリシア・ローマにおいては、日々の生活に必要な労働は奴隷にやらせることであり、自由人はそうした下賤なことから解放されていた。したがって、「自由な(=ヒマな)」人たちは、他にやることがないので、文法学・修辞学・論理学の三学(トリウィウム)とか、算術・幾何学・天文学・音楽の四科(クワドリウィウム)とか、およそ実生活の役に立つとは思えないようなことにウツツを抜かしていたということになる。つまりは当時の「リベラルアーツ」とは、「お遊び」「ヒマつぶし」、あるいは「趣味」「道楽」とほぼ同義であったのではなかろうか。

今は、その頃とはずいぶんと事情は異なるが、「リベラルアーツ」の意味するのは、「基礎教養科目」「一般教養」といったものになり、具体的な対象範囲としては、外国語、算術・数学、国語等の、いわば「読み、書き、そろばん」的な基礎学力であったり、理科(物理、化学、生物、地学等)、社歴(歴史、地理、倫理社会、政治経済等)等に関する基本的な知識が含まれると考えるのが、我々が共通してイメージするものに近いのではないか。

いずれにせよ、「すぐに何かの役に立つ」というものではないし、いわゆる「実学」とは正反対の概念ということになる。

ただし、役に立たないというと、昨今、何やらネガティブなとらえられ方をすることが多いが、そういう考え方はいささか短絡的であろう。

「リベラルアーツ」は「基礎」、「実学」は「応用」と考えれば、前者の上に後者が成り立つということになるし、どちらかを選択するかといった考え方は見当違いだということになる。スポーツにたとえれば、基礎体力がないのに、いきなりフルマラソンを走ろうとするのと同じことである。

前にも書いたが、学生時代の恩師に、「すぐに役に立つ知識というものは、すぐに陳腐化するものである」と言われたことがある。日々、発刊されるビジネス書を例に上げても、2年後、3年後にも賞味期限切れを起こしていない本は100冊中、たぶん1冊か2冊か、あるいはそれ以下であろう。何か特定の分野とかトピックに特化した知識というのは、賞味期限が来るのも、利用価値が廃れるのも早い。

「リベラルアーツ」の方は、それに比べると、もう少し賞味期限は長そうである。もちろん、こちらの方もブラッシュアップは必要である。僕らが中学・高校時代に習った歴史の教科書に書いてあったが、今の教科書では書かれていないような内容もある。その逆もありである。新たな発見や研究の成果が反映されてのことである。しかし、そういうのを差し引いても、学校時代に勉強するような内容は、実生活を送っていく上で意外と役に立つ。すぐに役に立つような実感はあまり感じられなくても、「じわじわと効いてくる」感じである。

大学とか大学院とかで専門科目を履修するとしても、関連する基礎知識がないと理解が難しいのは明らかである。僕は社会科学系だったが、数学的な思考法というものは、文学部とか社会学部とかにおいても必要だと聞いた。そういう意味では、文系・理系という分け方もそろそろ改めた方が良いのかも知れない。

高い山を築こうと思えば、裾野が広くなければならないのと同じである。世の中が進歩するにつれて、覚えないといけないことはどんどん増えている。専門性を極めるとしても、前提となる知識もより多くを求められる。「実学」を習得するためにも、「リベラルアーツ」はより重要になり、社会人になっても、日々、ブラッシュアップしていく必要があると考えるべきであろう。

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