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「マッチングアプリ」について

最近、若い人たちは、「マッチングアプリ」なるものを使って、パートナー探しであったり、婚活を行なうのだという。どこかで聞いた話だと、独身男女の約8割以上の人たちはマッチングアプリを使ったことがあるらしい。

僕はアラカンだし、自分が若い頃には、もちろん、そういうものはなかったものの、生涯未婚の男女が増えてきている昨今の情勢を勘案しつつ、マッチングアプリについて少し勉強してみることにした。

仕組みは、いわゆる「出会い系サイト」と同じである。出会いを求める男女がそれぞれプロフを登録することで、一定のアルゴリズムに基づき適当と思われる相手をアプリが推奨してくれたりする仕組みである。登録されている異性のプロフを閲覧することも可能だ。コロナ渦も追い風となり、アメリカではカップルの4割くらいがマッチングアプリで出会っているという。

僕が素朴に疑問に感じたのは、結婚相談所のような従来からの伝統的というかアナログな制度もあるのに、どうしてマッチングアプリが活況を呈するのだろうかということである。

1つには、「敷居の高さ」の問題であろう。今の若い人たちは、結婚ありきというよりは、まず出会いがあって、その延長線上に結婚といったとらえ方なので、最初から結婚というゴールを前提にして、いろいろと提出書類を求められて、型にはめられる感じの結婚相談所は窮屈な感じがするのかもしれない。カジュアルに、まずは異性と出会ってみて、相性を確認してみて、それから先のことはその後に考えるというような人が多いのだろう。

2つめは、「費用」の問題であろう。結婚相談所とマッチングアプリを比較すると、明らかに前者の方が費用がお高めである。結婚を前提とする男女の出会いをサポートするという意味でのリスク負担料的なコストも含まれているのかもしれない。それだけ結婚に対して本気の男女が集まるので母集団の質が担保されると思うのだが、若い人たちにとってはそれよりも費用面でライトな方を選択するのであろう。

3つめは、世の中の価値観の変化がある。少し以前ならば、職場とか大学とかで好みの異性を見つけたら、気軽に声をかけてアプローチすることのハードルはさほど高くなかったように思う。僕にも経験はある。ところが、いまだと、特に職場の場合、下手をすると、「セクハラ」だと訴えられるリスクも小さくない。職場によっては、職場恋愛を禁止しているところもあるらしい。

以上のような理由もあってか、最近、大流行りのマッチングアプリであるが、当然のことながら、一定のリスクを伴うものであることは間違いない。

そもそも相手が独身ではなくて既婚者かもしれない。この点については、本籍地の役所で独身証明書等を出してもらうことで排除できるし、結婚相談所ならばデフォで確認していることだと思うのだが、マッチングアプリでそこまでやっているところはあるのだろうか。

既婚者ではなかったとしても、ステディなパートナーがいて、単に遊び目的、浮気目的というような相手を排除することも難しい。結婚相談所であれば、費用の高さが一定の抑止力になるのだろうが、マッチングアプリの場合は、費用が大して高額ではない。不真面目な相手とマッチングしてしまうリスクは相応に高いのではないか。

さらに言えば、学歴、年収、勤務先等のプロフィールが虚偽である可能性もある。結婚相談所であれば、学歴、収入、勤務先等を証明する書類の提出が求められるだろうが、マッチングアプリだとそこまでの確認はされていないのではないだろうか。

要するに、こちらがきわめて真面目な動機でマッチングアプリに登録したとしても、そこで出会う相手が真面目とは限らないし、プロフに登録されている情報がどこまで本当か保証の限りではないということだ。

こういうところで異性と出会ったとして、結婚を前提とせず、単に異性の友だちとしての「おつきあい」をスタートする分には問題はないとしても、仮に結婚を前提としたステップを踏んでいくとなれば、相手の属性情報が果たしてあらかじめ聞かされていた内容と相違ないのかどうか、検証する作業が必要となり、なかなか厄介かもしれない。嘘つきな相手との出会いも一定数は覚悟しなければならない。そうした「ノイズ」を排除する労力とかコストを考えると、結婚相談所とマッチングアプリとどちらがお手軽なのか、僕にはよくわからない。

マッチングアプリや出会い系サイトが利用されるようになる前、ずっと昔であれば、適齢期の男女を結びつけるのが好きな、お節介焼きのおじさんやおばさんが、親戚や近所や職場に1人や2人は必ずいたという。「1人口は食えなくても2人口は食える」といった理屈を振りかざしつつ、若くて給料が安くても、適当な年齢になったら、釣り合いの取れそうな相手を見つくろっては、周囲のオトナたちが寄ってたかって、身を固めさせたものだ。ある時期までの日本の男女、僕の親世代くらいまでは、そうやって結婚したのではなかろうか。

社会的包摂性が失われていくことで、そういう良くも悪くもお節介だが面倒見の良い世間の風潮や人間関係がすっかり変わってしまったことと、マッチングアプリが若い人たちに利用されるようになったこととは無関係とは言えないような気がする。

言い換えれば、生涯未婚の男女が増えていたり、特定のパートナーのいない男女が多い(20代の男性の7割、女性の5割は、配偶者・恋人がいないとのことである)といったことは、単なる結果に過ぎず、適齢期の男女が決して出会いを求めていないわけでもないし、いわゆる草食化が進んでいるわけでもないということになる。

結婚云々はともかくとして、とりあえずは異性のパートナーを求めている男女は少なくないが、適当な出会いがなく、出会う手段を求めているというのは間違いない。

「合計特殊出生率」という指標があって、「一人の女性がその年齢別出生率で一生の間に産むとしたときの子供の人数に相当」(Wikipediaより)する。人口を維持するには、2.06から2.07は最低限必要であるという。今の日本では、だいたい1.3くらいである。だから人口が減っている。

僕らのような高齢者が減少するのは悪いことではないが、若年者の人口が増えないことには国力は維持できない。そう考えると、若い未婚男女の出会いを促進して、子どもを生む機会を増加させることは、国にとってもきわめて重要な施策と考えるのはピント外れとは言えない。

僕が政治家だったら、結婚相談所の利用者に対して、補助金を支給して、税金で費用負担をするくらいのことは考えるのではないだろうか。マッチングアプリについても、登録している属性情報の信頼性について一定の要件をクリアできるところであれば、同じように補助金の対象としても良いかもしれない。

あとは、お節介なおじさん、おばさんの増員と強化・養成である。若い男女を結びつけて、めでたく子どもが生まれれば、税制面で優遇するとか、給付金を出すとか、何かメリットを提供しても良い。将来の勤労者・納税者が増えるのであるから、これくらいは安いものである。

こういうことを書くと、「子どもを持たない自由」を主張する人たちとか、「子どもを持ちたくても持てない」人たちから、文句が出るのだろう。

前者については、子どもを持たない自由があって構わないのと同様に、子どもを持ちたいと思う人たちも尊重されるべきであること、人口を維持し、増やすことは、国の将来に影響する重要事項であることを十分に認識してもらい、納得いただくしかない。

後者については、既に不妊治療の保険適用が開始しているし、助成金制度等も導入されているから、何も問題はないはずである。

でも本当は、個人情報を国が一元的に把握できていれば、国がマッチングアプリと同じことをやれば一番良いのである。昔のテレビドラマで、「リッチマン、プアウーマン」というのがあって(小栗旬とか石原さとみが出演していた)、そこで「戸籍情報管理システム」としての「パーソナルファイル」(PF)なるものが登場していたが、現実世界にPFがあれば、適齢期の未婚男女を何らかのアルゴリズムに基づいて紹介する機能だって、やろうと思えば実装可能であろう。戸籍はあってもなくてもどちらでも構わないが、個人と1対1対応のIDに基づく個人情報のデジタル化は推進してもらいたい。インドだってやっているのである。

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