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「産休クッキー」について

「産休クッキー」なるものに関して、何やら熱い議論が交わされているらしい。

<産休前にあいさつのため配るクッキー、いわゆる「産休クッキー」が物議を醸している。話題のきっかけは、とある女性のSNS投稿だった。赤ちゃんやお母さんのイラストがあしらわれたクッキーの画像に「職場の人に配るクッキーがかわいい」というコメントを添えたところ、肯定的な反応がある一方、配慮が必要だという声があがったのだ。>

普通に考えれば、<「微笑ましい」「かわいいしもらったらうれしい。ありがたく受け取る」>ということになるのだろう。僕なども、「うん、それで良いやん」と思ってしまう。特に、目くじら立てるような話とは思えない。

しかしながら、<「不妊治療中の人や未婚の人もいる。これ渡されたら配慮足りないって思う」「マタニティハイなのか知らんが、仕事に穴開けるのに幸せアピールうざい」といった批判もある。>といった具合に、否定的な意見も少なくないのだという。

まったく、生きづらい世の中になったものである。

こういうネガティブな反応をする背景としては、結婚しない(できない)人たちが、世間で一定割合を占めていることがある。生涯未婚、生涯子なしという人たちからすれば、結婚して、出産してといった、既婚者からすれば、ごく当たり前なイベントに対しても、素直に共感できないのだろう。

人は、自分と他人を比較して、他人の方が恵まれていると、妬みとか嫉妬といった感情を抱いてしまう。

でも、世の中、いろいろな人がいるのである。結婚する(できる)人もいるし、結婚しない(できない)人もいる。子どもを持つ(持てる)人もいれば、子どもを持たない(持てない)人もいる。

仮に、結婚したくても、結婚できない人がいたとしても、それは自分自身の責任であって、他人の責任ではない。子どもを持ちたくても、子どもが持てない人に関しても同様である。結婚して、子を持っている他人には、何も責められるような要素はない。

世の中の人々は、同質ではないし、同質でなければならないとも思わない。自分がかなえられないことをかなえた人が傍にいたとして、それを妬んだり、ウザいと思うのは、単に自分自身の料簡が狭いというだけのことであり、逆恨みする方がどうかしているのだ。

そんなことはわかっている。でも、妬む感情を抑えられない。そう。人間というのは、そういうものである。

でも、「産休クッキー」を配るくらいで、いちいち咎めていたら、誰かの慶事についての報告も、お祝いも困難になってしまうことになる。大学合格祝い、就職祝い、結婚祝い、出産祝い等々、すべてである。誰かにとってめでたい出来事があったとしても、そうした慶事を望んでも実現することができなかった人に対して配慮しなくてはいけないのだ言われるようなってしまったら、もはや、内緒でひっそり身内だけでお祝いするしかなくなる。

明らかに面倒くさい。

他人にとってハッピーな出来事があったことに対して、どうして素直にお祝いできないのか。全員が何もかも同じである方が気持ちが悪い。他人の幸せを妬む気持ちをあれこれ理屈を振りかざして正当化しようとするのは、とても陰湿で暗い感じしかしない。

妬む気持ちがあるのは仕方がない。自分の心の狭さが原因だからである。人間は誰しもそうした感情を持つ。でも、それを正当化するのは厚かましい。というか、他人への配慮云々といったもっともらしい屁理屈をこねて、正当化するのは余計に醜い。心の奥底で、密かに妬めばよいだけのことである。

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