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旗色を示すことの難しさについて

ハーバード大学の女性学長が、盗用疑惑・反ユダヤ発言対応等の責任を取って、学長職を辞任した件について、思ったことを書き記しておきたい。

盗用疑惑については、ホントのところ、僕にはよくわからない。AI技術を駆使して、過去の論文の一言一句まで事細かに検証すれば、似たような論旨の他の学者の論文からの引用方法等について難癖つけるくらいのことは、やろうと思えばやれそうである。専門分野は政治学なのであるから、アリストテレスの時代まで遡れば、何を語ろうとも似たり寄ったりというか、過去の誰かの見解と多少は被ることになるだろうし、真に新奇で独自性を持った学説を展開する方が不可能に近いかもしれない。

それよりも、「無理ゲー」だよなと思うのは、昨今のようにガザ地区で戦闘状態になっているような状況下において、イスラエルに対する自身の立場を明らかにするよう求められて、それによって社会的地位を追われるような米国社会の現在の状況の方であろう。

日経の記事によれば、<23年12月5日にハーバード大、マサチューセッツ工科大(MIT)、ペンシルベニア大学の学長を集めた米議会の公聴会(中略)では反ユダヤ主義など差別的な発言に対する大学のルールや、差別的な行為をした学生の処罰などが論点となった。ゲイ氏らは「差別的な行為を処罰するシステムは整っている」と主張。一方、問題視された学生らの言動に対して学内ルールに違反するとは明確に示さなかった。>とある。

また、<こうした対応に不満を募らせた米議会の議員74人が23年12月8日、ゲイ氏を含めた3学長の辞任を要求した。>とあり、<別の投資家はペンシルベニア大の学長の証言を理由に計1億ドル(約142億円)の寄付を取り下げた。同大のマギル学長は23年12月9日に辞任を発表した。>という。

米国社会では、ユダヤ人を敵に回すことは、きわめてリスクがある。というか、ユダヤ人を敵に回したら生きていけない。学会、芸術・文化、財界、政界等、いずれもユダヤ人が権勢を誇っているからである。

本来は学問の府であり、言論の自由が守られるべき大学だって、富裕層たちからの巨額の寄付金がなければ成り立たない。富裕層の多くはユダヤ人である。寄付を取り下げられると脅されたら、節を屈するのも致し方ない。

現在の中東情勢について言えば、「どっちもどっち」なのである。絶対的な正義も正解も存在しない。立場が違えば、意見が異なるのは当たり前だし、どちらか片方の旗色しか容認しないというのは、本来の民主主義的な姿からもかけ離れている。どこかの独裁国家とやろうとしていることは大差ない。

こうした米国での騒動を見ていると、いくら言いたいことを言っても、すぐさま社会的に抹殺される心配はなさそうな点に関しては、日本の方がまだマシなのかなという気がするのだが、昨今のパーティー券収入に関する政治資金問題であるとか、「大川原化工機」を巡る冤罪事件とかを見ていると、検察とか公安といった国家権力が我々一般人の窺い知れないような動きをしているのが気になってしまう。

彼らがその気になれば、「誰か」の意思とか意図に基づいて、一般人を嵌めて、何らかの罪に陥れることや、社会的地位を貶めることくらい、簡単にできてしまいそうである。そう言えば、少し前に、官僚出身の経済評論家が、時計を盗ったとかいう容疑で捕まったことがあったが、あれだって真実のところは良くわからない。他にも、電車の中で痴漢加害者にされたり、公務執行妨害で捕まったりというような事案だって、「誰か」の意図に基づくものが含まれているかもしれない。

「空気を読む」という言葉が普通に使われるようになって久しいが、本来は空気など読まずに、言いたいことを互いに言えるような世の中の方が、ずっと生きやすいし、居心地が良いのだろう。

旗色を鮮明にすること、つまり自分の主義主張やスタンスを明確にすることが、「誰か」の顔色を窺わなければならないことだとしたら、怖くて言いたいことも言えないだろう。権力者におもねる人間ばかりになると、社会は腐敗するし、皆んな揃って間違った方向に進むことにもなりかねない。

でも、今の米国はそういう感じになっているようである。そんなことでは、とてもとても、「自由の国」とは呼べないような気がする。



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