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映画「沈黙の艦隊」について

先日、外出先の用事が思っていたよりも早く終わり、空いた時間を利用して、映画「沈黙の艦隊」を鑑賞した。平日午後だったので、映画館はガラガラであった。ちょっと贅沢な気分でとても良い。

昔、「週刊モーニング」で連載していた頃に、ざっと読んだ記憶がある。米国の最新鋭の原潜を、海江田艦長以下の海上自衛隊の精鋭が乗っ取って、独立国家「やまと」を名乗り、各国からの攻撃をかわしつつ、ニューヨークの国連本部に乗り込み、新たな国家観や、国家からの武力の独立といった持論を世界中に向かって語りかける中で……といったところ以外の細かいところはあまり覚えていない。

今回の映画では、独立国家「やまと」を名乗ったところで終わっているので、当然に続編を作るつもりなのだろう。続編は1作で終わるのか、あるいはその後も続いていくのか、その辺はよくわからない。

防衛省や海上自衛隊も撮影には協力したのだろうが、戦闘シーンを含めて、多くの場面はSFXで作られている。最近の撮影技術というのは、本当にたいしたものだと思う。昔のような、いかにもミニチュアを使って撮影したような、チャチなシーンも見当たらず、迫力もあって、わりと楽しめた。

日本も原潜を保有すべきだということは、前々から思っていることである。日本は小さな島国であるが、領海の広さは世界第6位になるという。日本の海上自衛隊は、他国を攻撃することを想定しないので、日本の近海だけを防衛すれば良いから、通常動力型のディーゼルエンジンの潜水艦で十分だという考え方は、日本の領海の広さを考えれば、あまり説得力がない。

それに、日本の場合、近隣に厄介な国々があり、隙を見せたり、舐められたりすると、いつ攻撃を仕掛けられるかわかったものではない。広大な領海の中のどこに潜んでいるのか、誰にも分らない場所で運航している原潜を保有することは、他国に侵略されたり攻撃されたりしないための重要な抑止力になり得るはずなのだ。

核ミサイルも含めて、自国でゼロから開発するのは時間がかかるだろうが、米国からレンタルするといった方法であれば、昨今の緊迫した国際情勢において、米国だって太平洋の対岸のことまで面倒見切れないと本心では思っているだろうから、あとは交渉次第で何とかなるのではないだろうか。そもそも「世界の警察」たる米国の国際的な地位だって、相対的には徐々に低下中なのだ。

核ミサイルというものは、原作のコミックでも描かれていたが、「持っている可能性がゼロではない」というだけでも、侵略を企てる他国の脅威となり得る。核兵器だって原潜同様に、米国からレンタル、あるいは共同運用といった方法は可能ではないだろうか。日本の場合、米国に加えて、オーストラリア、韓国、それと東南アジア各国、それにインドといった国々と連携をすることで、厄介な隣国2つを戦略的に抑え込むことを模索すべきであろうし、その文脈において、原潜・核ミサイルというのは、キラーコンテンツになり得るのだろう。

問題は、たとえ最新鋭の原潜であっても、1隻だけ持っていても、実際の運用には耐えられず、最低でも3隻セットで保有して、メンテナンス、訓練も含めたローテーションでの運用が必須となる。乗組員も同様に3セットは必要である。海江田のような天才的な操艦技術を持った艦長が本当に存在したとしても、人間である以上、年がら年中休みなしで働き続けることはできない。

日本が原潜を保有するといった話をすると、アレルギーを起こして、議論そのものを拒絶する人々が少なくない。この映画でも、日米共謀で極秘裏に建造した原潜に、海江田以下の自衛官を乗組員として乗務させるために、遭難事故の偽装までやっているのは、まともに議論をしていては遅々として何も進まないからであろう。

しかしながら、原作漫画が描かれた頃(20世紀の終わり頃)に比べても、昨今の方がキナ臭い世の中になってきているのは間違いのない話であり、日本の国防について、こういう映画にも刺激を受けつつ、我々国民1人1人が自分たちの問題だと思って、主体的かつ真面目に議論をしても良いのかもしれない。

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