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「連帯責任は無責任」について

昔、学校で英語の勉強をしていた時分に、「Everybody's business is nobody's business.」というコトワザを習った記憶がある。もしかしたら、英語の勉強ではなくて、『知的生活の方法』(渡部昇一)で読んだのかもしれない。「連帯責任は無責任」という意味である。

どんな仕事でも、大勢の人間が関与すると、却って、仕事のクオリティは低下する。「誰かがちゃんとやるだろう」ということで、お互いにもたれ合ってしまうからである。信じられないような、ポカが起きてしまうのだ。

僕は、あまりJ-POPに興味がない人間なので、今回の騒動で話題となった、「Mrs. GREEN APPLE(ミセス・グリーン・アップル)」なるロックバンドのことは知らなかった。

しかしながら、日経新聞の記事を読んで、違和感を感じたのは、有名企業のCMともタイアップした楽曲であり、広告代理店、スポンサー企業も含めて、大勢の人たち、それぞれの分野の専門家たちが関与していたであろうに、どうして、こんな大チョンボが起きるのだろうかということである。

正直なところ、MVについては、<「植民地主義と奴隷制を肯定している」「人種差別をエンタメとして楽しんでいる」などの批判>をしようと思えば、できそうではあるが、そこまで神経質になる必要もないんじゃないのとも言えるようなレベルの、はっきり言えば、どうでも良いような出来ばえである。

でも、大手企業のCMともタイアップしているんだし、普通であれば、君子危うきに近寄らずということで、突っ込まれそうな要素はできるだけ排除して、安全運転でいこうという判断が働いたはずである。

にもかかわらず、誰もチェックしていなかったのか、誰かがチェックしていると思ったのか、その辺りは不明であるが、なんでこういう突っ込みどころ満載なMVが世に出てしまったのやら、まったく理解に苦しむ。

今や、隙あらば、イチャモンを入れたがる人たちが多くて、ひと昔前のCMとかテレビ番組なんて、そのままではとても現代の地上波のTVでは流せそうもないようなのが少なくない。

そんな風潮を受けて、尖がった表現とか、咎められそうな表現は、極力、マイルドに修正することとなり、結果として、当たり障りのないようなものに収斂されることになる。

今の広告代理店、CM製作者、テレビ局のスタッフは、そういうスキルに長けた人たちが揃っているのだろうが、それでも大勢が関与して仕事を進めていると、たまに今回のようなことが起きてしまう。

今回の事案は、話題づくりを狙った、「炎上商法」ではないかという説もある。たしかに、過去のCMでも、放映直後に問題が指摘されて、却って大きく注目されたというものが幾つかあった。でも、スポンサー側としては、そのようなリスクを敢えて冒そうとは思わないだろう。

クリエイター側の「勇み足」というのは、考えられるかもしれない。「わかる奴に、わかれば良い」というスタンスで、ストライクゾーンのギリギリみたいな内容を狙ったということである。しかしながら、CMというのは、スポンサーとか消費者ありきの商材に過ぎない。芸術作品とは違う。

アーティストに対して、「歴史認識が甘い」と責める世論もあるようだが、それはちょっと酷な気がする。今どき、YouTube動画でさえ、いろいろなスタッフが関与して作られているのだ。アーティストからすれば、誰かちゃんとチェックしてくれなかったのかよと文句の1つも言いたいに違いない。

要するに、いろいろな人たちが関わっている案件なのである。それぞれ立場も思惑も異なる。最終的に、「ゴー」サインを出した人が責任を負うことになるのだろうが、彼とて、細部に至るまですべて自分自身の思いのままにコントロールできるものではないだろう。

やはり、連帯責任は無責任なのである。

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