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僕とカポックとの出会い vol.1

「トンネルを抜けると、
 雪、いやカポックだった」

そんな僕とカポックの現地での初対面の流れを、
クラウドファンディング直前の今、noteに記す。
vol.1では工場でなく、現地の自生するカポックに出会い、
現地の家族との出会いについて書くことにする。

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7月13日 午前7時半
ベッドから起きあがり、ホテルで朝食を食べる。
昨日は12時過ぎには寝ていたので、フライトの疲れはかなりとれた。
ホテルは1泊4千円ほどで、
中心地にある割にかなりキレイな部屋だ。
東京で1万円払っても狭いベッドのみ、というのとは全く違う。

朝食はバイキング形式でインドネシア料理というよりも洋食に近い。
(この段階ではインドネシア料理というものがよくわかっていないのだが)

9時にロビーで本日の視察につきあってくれるIppitと待ち合わせた。
Ippitはジャカルタ近郊に居を構えるネイティブインドネシア人だ。
今回はなんとボランティアで、
僕らのリサーチに付き合ってくれる。
Ippitは僕が10歳の頃から所属するNGOの人間で、
facebook曰く、共通の友人が50人もいる。
Ippitは初対面にもかかわらずとても良くしてくれた。

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僕らはIppitと共にジャカルタ近郊に生えているカポックの自生エリアに向かった。
1時間ほど車を走らせる。
ただしジャカルタの車で1時間というのは、
全く距離感がつかめない。
世界一と言われる渋滞が昼夜問わず発生し、
1時間経ってもほとんど進んでいなかったりするのだ。
さらに交通システムも難しい。
右折が出来ない道路が多く、
反対車線に回りたいだけでもかなり長い距離を回り道する必要があったりする。

僕らは車内でIppitにいろいろなことを聞いた。
カポックのみならず、
インドネシアという国自体の話、
ガルーダという国のシンボルの神鳥の話、
スンバという地域で彼がおこなうボランティアの話、
などいろいろなことを地元民目線で教えてくれた。

しばらくするとカポックが自生するエリアが見えてきた。
10mを超える高さのカポックが連なっている。
地面にはカポック綿がチラホラ落ちており、拾い上げてみるとかなり軽い。

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低いところでは3mほどの高さにカポックに実がなっている。
ここは僕の自慢の垂直飛びを見せる場面と思いとび上がる。
見事、、、に全く届かない。

そうこうしているうちに、
偶然その場に居合わせた近くに住む現地のお母さんとippitが話をしてくれた。
Ippit「日本からわざわざこいつらカポック見に来たんやで!」
お母さん「え、本当に!?そんな可愛い子には是非うちの娘や息子も合わせたいわ!」
(※言葉はわからないので想像です)

お母さんとよく似たヒジャブを被った18歳頃の娘さんと、少年がでてきた。
カポックは枕やマットレスに使っている、という話を聞き、
地面に落ちたカポックを割って中身を見せてくれたりした。

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使っている枕を見たい、と頑張って伝えたところ、快諾してくれ、
その場でカポックの枕を見せてもらえた。

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外国人が珍しいということで、かなり一緒に写真を撮った。
さらに、そのままその場でお茶会が始まり、
ナツメグの果実やジュース、ココナッツクッキーをいただいた。
彼らは英語を話すことはできないが、
とてもやさしく朗がで、もてなしてくれた。

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地元中学に通うという少年は、
屈託のない笑顔で僕を呼んだ。
なぜか近くに日本語の教科書が落ちており、私に見せてきた。
おそらく彼のものではないのだろう。
私に持って帰っていいよと言ってくれたが、
流石に、もうひらがなは覚えていると思うので、必要はないので申し訳なく断った。

すると、彼は3mほどある細い竹を取り出しついてこいと言った。
(※重ねて言うが、この辺は全て言葉は推測である)
ついていくとカポックをとる際にどのように行なっているのか、
実演して見せてくれた。
竹を器用に使い、彼は実をとり自慢気な顔を見せてくれた。

まだ緑の熟していないカポックはとても固い。
割ろうとしても私の力ではわれなかった。

カポックに触れ、カポックと共に暮らす家族で出会い、
言葉が通じずともナツメグとジュースをふるまってくれた。
いつか、カポックの製品を世にリリースした後に、
この家族に会いに戻りたいと強く思った時間だった。

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僕らは家族に御礼を言い、さよならを告げた。
カポックが紡ぐ、国境も言語も超えた関係が、
とても心地よく思えた。

(恐らく)つづく



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