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現代社会で“バンディエラ”が誕生しにくい気がする話

よりにもよって2023年一発目のnote記事がこんな題材というのも複雑な話ではあるが、何か思うところがあるうちに筆を取っておきたいという気持ちがあるので僭越ながら書かせて頂く。

“バンディエラ”。サッカーファンにはお馴染みの言葉だが、イタリア語で「旗頭」という意味らしい。
要するに1つのクラブで活躍し続け、そのチームの象徴となっている選手を指す言葉。

こちらの記事が分かりやすいので是非。

余談だが、筆者は海外だとリバプールFCが一番好きなのでやはりバンディエラと言えばスティーブン・ジェラードのイメージ。
まあ残念なことにジェラード退団後にリバプールにハマった身なのでリアルタイムを知らないんですけどね…。

さて、今回は齋藤功佑という選手について。
本日、クラブより以下のような発表がされ、その内容はフリエサポを混乱に招き、失意の気持ちにさせるものだった。

ツイートにもあるが、齋藤は横浜FC下部組織出身の生粋のフリエプレイヤー。
かつて大卒で横浜FCに加入し、長期間に渡ってクラブを支え続けてバンディエラと呼ばれつつあった佐藤謙介が悔しくも移籍となった際、彼の象徴とも言えた背番号8を継いだ男。

下部組織出身者が悉く他クラブへの移籍をしていく中でいつしか残ったのが彼だけとなり、チーム最長在籍選手の三浦知良がレンタル移籍で離脱したこともあって必然とチーム全体の中で彼が最長在籍者となっていた。

そういった一連の背景があるだけに、彼にはいつしか横浜FCの象徴的な選手となるという淡い幻想を抱くサポーターも増えてきていたであろう中での衝撃的な移籍発表。
案の定Twitterは荒れており、心の整理が付いていない人が多数だった。

筆者も死ぬほど彼を熱心に見つめていたというまでではないが、正直なところ慢心していた。
上記の背景を理由にして「よっぽどクラブが破産寸前とかまで行かない限りは移籍しないでしょ。するとしても海外へのステップアップでしょ。」くらいの舐め腐った気持ちでいた。
ていうか改めて見ると本当に舐め腐っている。

スポーツはプロ野球くらいしか見ていなかった男がサッカーにハマり始めて早数年。
サッカー自体の野球に比べての移籍市場での活発さは学習していたつもりであったが、それでも彼のような選手が今日明日すぐ移籍することは無いという固定観念に縛られていたなと改めて痛感した。

それと同時にふと思った。
現代に於いてもうバンディエラという存在が生まれることは無いのでは?と。

上記の記事を参考にしてもらえると分かるが、勿論Jリーグにもバンディエラはいる。
数年前に引退した中村憲剛なんかは全盛期に欧州のクラブから声が掛かるクラスの選手でありながら川崎フロンターレ一筋を貫いたバンディエラであるし、城後寿もキャリアの途中で他のクラブからの移籍オファーを蹴る経験を経てアビスパ福岡の象徴となっている。

ただ、引退した中村憲剛は現在42歳。城後寿は36歳。
筆者が思う現代に於いてというのは言い換えれば「これからプロのキャリアを積み重ねていく段階の若手の中でバンディエラとなり得る人が生まれる気がしない」という意味。

一般社会の話をサッカーの枠組みに当てはめて考えることが大前提間違っているのかもしれないが、現代社会は昔に比べて転職が一般的という風潮になりつつある気がする。
1つの団体に長く在籍し続けることへの美学というものが我々若者世代には響かない傾向にあり、人生の選択肢も昔に比べて多い故に未知数のルートに足を踏み入れやすい環境。

バンディエラの美学って少ない選択肢の中で戦わざるを得なかった昔の社会を生きてきた人たちの思想の名残、延長戦上にあるものなのかなと思ったりする。

海外に於けるバンディエラを巡る思想というものについては考え出すとキリが無いので一旦目を向けないものとして、日本に於いてのバンディエラの美学について考えてみる。
あくまで個人的な考察ではあるが、そうなってくると戦後の野球辺りに話が行き着くのかなとか思ったり。

日本という国も随分とサッカーが根付いてきた方ではあるが、戦後しばらくの間は人気スポーツの最前線を走っているのは野球であった。

戦争に負け、国の誇りやプライドを奪われた国民たち。
失意の中で再開されたプロ野球や高校野球。

完膚なきまでに打ちのめされた国を立ち直らせるための復興。そして高度経済成長期。
次第に国全体が元気を取り戻していく最中で興行として発展した野球は、プレイヤーがチームの名前や都道府県代表の名前を背負って相手とぶつかり合った。
団体の名前を背負ってガムシャラに頑張る姿に国民は“背負うことの美学”といういつしか戦争に負けて忘れかけていた気持ちを呼び起こされ、自分たちが銃を持って戦える時代ではない故に目の前で背負う戦いをしている男たちに気持ちを乗せ、代理戦争の色合いが強くなった。

そういった一つの名前を背負って戦い、尽くし続けるという思想の延長がバンディエラかなと。
戦後のプロ野球のレジェンドたちの大半が1つのチームでやり遂げた人たちなのもそういうことなのだろうか。

また、シンプルに昔の選択肢の少なさもそれに拍車をかけている気がする。
プロ野球は12球団のみ。しかも昔は自由に移籍できるやり方なんてものはほとんど存在しない。いや抜け道使えばあったかもしれないけど。
(今はFA権といって移籍する自由を保障されるルールがあります。)
Jリーグにしても近年でプロカテゴリーのクラブ数が爆発的に増加し、発足当初では考えられなかったJ3というカテゴリーまで生まれている。

世界に目を向けてみても1995年にボスマン判決という事例があったことを境に世界中の名プレイヤーが欧州に集まりやすくなったが、それまでは移籍のために海外に飛び出すハードルが今より高かった。
先日亡くなったペレなんかは時代が時代故なのか、「世界最強のサッカープレイヤー」「10番をエースナンバーにした男」「最強ブラジルの象徴」等と言われながらも欧州クラブでのプレー経験は無し。
それでも当時は時代背景故に南米のクラブと欧州のクラブの力量差が今ほど離れていないどころかむしろ互角かそれ以上とまで言えたのでは?と思える。
まあ現代に於いて欧州クラブの方が南米クラブより強いというのも筆者の主観でしかありませんけど。というかみんな口にしないだけで正直思ってるよね。

根本的に時代と共に環境が変わり、そういった時期より全然後に生まれてきた若者は全くそのようなマインドも無いまま人生を歩む。
むしろ近年は選択肢が広がったからこそ「一つの目線に捉われず、吸収できるところからは積極的に吸収して良いとこ取りをしていく」というマインドが主流なのでは。

もうこの記事ずっと根拠も無く筆者の思うところだけで構築されているので申し訳ないが、W杯も昔と今では形が変わっているのかなと思う。

それこそ上記のペレ等が最前線で走っていた時代は「各国の文化から構築されていったサッカー文化の違いでぶつかり合って勝負する」という感じだったんじゃないだろうか。
今は母国以外のリーグでプレーしている選手たちが集まっている国が大半のため、「他国の在り方を吸収した選手が一同に会し、そこに自国のマインドとプライドを乗せて構築されたものでぶつかり合って勝負する」という表現をしたいところ。

何か色々回りくどく書いてしまったが、要するに“多様性社会”でバンディエラは誕生しにくいんだろうなという個人的な話。

別にどの考え方が正しいとか間違ってるとか知らんけど。
ただそういうことではなくて、今の若手サッカー選手は今後バンディエラになりにくいんだろうなーと思ったというだけの話。
今後Jリーグは歴史を重ねていくごとにもっともっと移籍が活発になり、チーム数も増えていく気がする。
もしそういった時代にバンディエラが出てきたら、その選手は中村憲剛や城後寿の比にならないくらい崇め祀られると思う。平気で銅像建つと思う。
違う考察をするならば、バンディエラが一切生まれない時代になり、そうなることで昔いた中村憲剛とか城後寿って凄かったんじゃね?となって彼らの銅像が平気で建つかもしれない。

とは言っても。
別に今の若者が背負うことの誇りを失っているかと言われたらそういうことじゃないと思う。
背負い方が時代の流れと共に変わったってだけだと思う。

それこそ数年前に横浜FC下部組織出身者として初めて欧州に旅立った斉藤光毅。
彼は海外に飛び立つ前の最終戦でのスピーチにて以下のような言葉を残している。

海外で活躍して、横浜FCという名前を世界各国に広めることが一番の恩返しだと思う。横浜FCで経験してきた楽しさ、喜び、悔しさを自分の財産、誇りにしてサッカー人生を歩んでいきたい。
これからは元横浜FCの選手として、日本の顔になるような選手になっていきたいと思います。
https://soccermagazine.jp/_amp/j1/17419126より引用

彼は横浜FCという名前を背負ってクラブを押し上げ続けるのではなく、横浜FCという名前を背負って世界各国の地域を背負っている猛者たちとぶつかり合う道を選んだ。

クラブにずっと居続けて発展させていく形もあるし、経歴にクラブの名前が載っている選手が他の場所でアピールをすることで間接的にクラブを発展させる形もある。

別にバンディエラって形で背負わなくても他の背負い方がたくさんあるような時代になったんだろうな、という感じです。

だからまあ移籍の真相は知らないですけど。
齋藤功佑にしても彼自身は今後も横浜FCを背負い続けてくれるんだろうなと勝手に思っています。
そして功佑に限らず、Jリーグ全体で今後バンディエラになる若手はもう居ないんだろうなと冷めたことを言ってしまう筆者は捻くれ者でしょうか。



…ちなみに中村憲剛って今までタラタラ語った理屈とはまた別で、謂わゆる「御恩と奉公」的な意味合いでバンディエラになってる感じあったパターンですよね。(城後ってどういうパターンなんでしょうか。すみません無知で。)

まさかクラブ側が功佑に対してその“御恩”を軽んじていた故に起こってしまった移籍劇、とかじゃなければ良いんですけどね…。
結局筆者は外野なのでそんなの知りようがありませんが…。

“御恩”になぞらえてUVERworldの「GO-ON」という曲のリンク貼っときます。

こんだけ語っといて最後のオチがダジャレって何?おもんな。

ダジャレがおもんない件に関しての文句はTwitterにてどうぞ。

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