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「ありのままの自分を受け入れる」とはどういうことなのか。

完璧主義の私には、現状の私は「できてないこと」だらけです。

「もっとこうすっきりできないの?」
「今まで何してたの?」
「モタモタしてるからダメなのよ」 的な
まー、難易度高いことをいってくるわけです。

脳内の自分に厳しい私。この私があるから向上できるわけで。
できないことができるようになるのも、「向上心」の塊のこの私の存在があるから。

できるようになりたい!っていうのは大事な心です。

でも、チャレンジし続けて、成功しないときに、
「だからダメなのよ」ってできてないことばかりになっちゃうと
元が向上心でも、それはちょっと・・・ねぇ。
過ぎたるは及ばざるが如しなのです。

で、散々に、自分を削りまくってくるこの元・向上心(行き過ぎ完璧主義)さんを制御する術が思いつかなくなって、自己否定回路から抜けられなくなり、「私は何にもできない」って落ち込んでみたりしたわけです。
(長い時間を使っています)

いろんな勉強もしました。
視点を変えるべし、思い込みを変えるべし、、、、大体どれでも真理はそんな感じなのかな。←ざっくりすぎるまとめ

「ありのままの自分を受け入れること」なんていうフレーズもいろんなところから聞こえてきます。その通りだと思いました。

だって、完璧にやりたいもの、全部を完璧にやるなんて無理だもん!
できなくてもいいじゃないか!それが私!

みたいな感じで、自分を受け入れているような気持ちになっていました。
が、無気力なままだったし、何にもできない私ってとこにまだいる感じがしていました。

これ、なんで?
ありのままの自分を受け入れているよ!
できなくったって、いいじゃないか!
できることだってあるし!

なんで元気にならないのよ!!!!

このグルグルを何周したのでしょうか。
この回路、だいぶ周回しました。そんなにそこ、好きなの?って今は思う。

でね、「ありのままに受け入れる」についてもう一回考えたわけです。
何周回っても、元気にならないってことは、これなんかおかしい、って思って。


そして、今日の時点での結論!

「ありのままに受け入れる」っていうのは、
「できる/できないに、◯良い/✖️悪いをくっつけない」ってこと。

やってみた→できなかった(✖️bad)、ではなくて
やってみた→予想と違った(そのまま)、だけ。

朝起きるのが苦手→それがいい悪いではなくそういう状態ってだけ
〇〇するのが苦手→得意な人がいたら任せることができるポイント

そんなふうに、自分に対して◯だの✖️だのをつける前でストップした状態が、「ありのまま」である!

(◯✖️をつけるのはジャッジで、ジャッジをするってことは、「ありのまま」ではなくなる)


一個前の投稿で、「不幸な時間なんてない」と書きました。

何かの事象に「不幸な出来事」というジャッジをするのは自分です。
結構自動的にジャッジしているので(無意識の思考回路ってすっごく回転早くてよっぽど意識を向けないと気づかない)、最初からジャッジすること自体を止めようとするのはお勧めしないのだけど、生きている間になんらかの「不幸な出来事」はあったとしても、そこから何日も何週間も何ヶ月も、何年もそれを「不幸な出来事」として回想するかどうかは、自分で決められる(選択できる)わけですよね。

だったら、自分を幸せにする考え方を自分で選べるようになるっていう事実を知って、自分を幸せにしない回路(自己否定、自分責めなど)は極力気づいたらストップしていくほうが、自分に優しい時間になるんだなと思いました。

今の意識が現象化するらしいからね。
自分の世界は自分で創っている。

今のあなたは、何をクリエイトしたいですか?

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