見出し画像

真面目な自分にさようなら

こんばんは。
私は、割と「真面目で従順な人間」です。
今の仕事でも、「きちんとお客様に伝えよう!」「会社のルールに違反しないようにしっかり伝えよう!」と、真面目に細部まで説明しすぎて、生産性がよくなかったりします。

日本人って、仕事ができるできないより、組織の和を乱さない人間かどうかで、評価されるきらいがあるなぁと常々思っていました。
私のいる会社は日本的ではなく、割と成果主義なので、
私がいくら真面目だろうが、協調性があろうが、評価はされませんw

でも、自分としては成果主義の方が、居心地が良かったりします。

空気を読む会社の空気は澱んでいた

前の会社は、組織の和を乱さず、いかに空気を読むかで評価されるような会社でした。
私は「指示を待たずとも、空気を読んで先回りすること」はそれなりに得意だったので、そこを評価されていたと思います。

前職の「上司集団と考え方が異なる人」への、当たりの強さは異常でした。
考え方が違う人に対して、「空気を読めない」と言うレッテルを貼り、情報伝達を行わなかったり、あからさまに無視したり。
一度「空気が読めない」認定されると、何か間違っていたとしても、まともに指導してもらえず、陰口を叩かれるだけになるような組織でした。

そう言う姿を見ている周囲は、「自分もどこかで間違えたら、同じ扱いになるかも」と恐怖を感じはじめます。

私は、そのような環境で「バカ真面目で従順」な自分を発揮させ、適応しようと頑張った結果、実際に自分が実害を被っておらずとも、メンタルの調子を崩しました。

真面目が評価される理由って…

真面目なのは、世間的にはいいこととされていますよね。
学生時代は真面目な方が評価されますので、私もある程度、真面目に先生の言うことを聞いて、頑張っていました。
しかし、大人になると、「真面目で従順」だけでは、潰れてしまうのです。
他人の要求は、底なしですから。

そもそもなぜ真面目でいることがいいこと、なのか?
もしかしたら、「真面目=従順=扱いやすい」から、いいこと、とされているのかもしれない、などと思ったり…

怖いこと言ってすみません(笑)

真面目をちょっとずつやめる

ただ真面目に生きるだけでは、傷を負う世の中になってしまったのかもしれません。
でも「真面目で従順」な人生を歩んできて、すぐに不真面目に転換できるわけでもないので、今では2つのことを意識して生活しています。

1.まず断る
真面目な人は、なんでも引き受けてしまい、1人でしんどくなっていることが多いと思います。
私もそうです。
なので、何かをお願いされたら、まず断る理由を探すことにしています(笑)
断ることは悪いことと思われそうですが、なんでも引き受けて、何もかも中途半端になることが一番よくないですし、自分が壊れては元も子もないからです。

2.どうすれば楽できるか?の基準で考える
「どうやってサボるか?いかに楽できるか?」
口に出すととんだ怠け者ですが、いかに楽できるかを追求することは、生産性の向上につながる、とても有益なことだと思います。
手順が減れば時間に余裕が生まれるし、少ない労力で利益を生むことができれば、自分が潰れてしまう危険性も減ります。
いろんな物事を「いかに楽にこなすか」そのための方法を考えながら、生活しています。


20代はかなり真面目に生きてしまったので、30代は不真面目に、軽やかに生きて行きたいなぁ!と思ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?