プリ帳という魔境
こんばんは。
私は現在30代ですが、プリクラの黎明期から現在まで、その進化を見守ってきた世代であると言えそうです。
現在、スマホがこれだけ普及した世界でも未だに人気のあるプリクラですが、昔は今とは信じられないくらいのガッサガサの画質でした。今の若い方は知っているのかな〜?
今日は私の思い出とも黒歴史ともとれる、プリクラを貯め続けたプリ帳2冊の中から、プリクラの歴史を振り返っていこうと思います。
画面ちっさい時代
破れてしまっているのですが、最初のプリクラはこんな感じでした。
撮影時の画面がちっさい上に高さがあったので、当時140cmの私(右側)はカエルのフレームに邪魔されて写ってないし、120cmの弟は見切れてしまってます。親切なお店だと子供用の踏み台が置いてあったりしましたね。
しかも撮影し直すこともできないので、このような大失敗プリクラが残っています。当時は少ないお小遣いを注ぎ込んでこの仕上がりだったのでショックでしたが、今もこれが残っているのがエモい。過去の自分に感謝です。
画質改善、自分を変身させる要素が付加
モザイクが意味をなしていない気がしますが、もういいですw
画面ちっさい時代が数年続いた後、どんどんシールが大きく、画質も鮮明になってきましたね。このプリクラは髪色を変えられる機能が付いていたので、単純に「自分、赤髪似合うのかな」と思って撮影しました。今となっては真顔で1人で撮ってるのが笑えて仕方ないです。証明写真かよ。
背景自分で塗ってた時代
友人のプライバシーと黒歴史を守るため、私のみ切り取っていることをご了承下さい。
この頃は全身撮影できるように進化、らくがき機能もつきましたが、背景はグリーンバックではなく、何と自分で塗らなければならなかったんですよね。
ペンも太くて細部まで塗れないし時間制限もあったのでこんな仕上がりになっちゃいますよね〜。
背景カーテン手動時代
わかりづらくてごめんなさい。よーく見ると、背景に光っている部分があること、わかりますか?
この時代は、プリクラ機の中にいろんな柄のカーテンがかかっていて、それを広げて好きな柄の背景で撮影していました。アナログですよねw
今はグリーンバックが主流でプリ機の中はフラットだと思いますが、階段や手すりがついていていろんなポーズが撮れるプリ機もありましたよね。
グリーンバックと設備ギミック時代
その後プリクラは大行列が当たり前になり、らくがき機能も充実。急激に進化します。このプリクラはたしかプリ機の中に台のようなものが置いてあり、その後ろに隠れることでお風呂に浸かっているようなプリが撮れる!という、プリ機の設備とグリーンバックが見事に合体した作品(?)でした。よく見ると膝見えちゃってますけどね。
ただ、ここが「全身で写ること前提での進化」の最終形態だったと思いますね。この後はアップでの撮影に特化して進化していきましたね。
印刷技術の発達
モンチッチヘア時代の私です。部室で先輩に切ってもらったんです。この髪型好きだったな。
落書きの文字を見て貰うとわかるのですが、ラメラメしてますよね!印刷技術が進化し、落書きの文字がキラキラになったりしました。この頃には、デカ目とか美白とか、より盛れるようになる選択肢が増えました。
100均にプリクラがあった時代
こちらは上のキラキラ文字と同時期に、「DAISO」に突如プリ機が設置され、たしか300円で撮影できるようになりました。ちょっと古めの機械で画質はイマイチですが、隣の市のゲーセンまで行かずともプリクラが撮れるようになったので、放課後などによく撮影してました。いつのまにか消えちゃいましたね。DAISOのプリクラ。
デカ目戦国時代
こちらもモザイクの意味がない気がしますが、諦めます。
その後、プリクラはとにかく目を大きく見せることにこだわります。私はデカ目すぎて別人になるのが嫌で、ナチュラルに仕上がるよう選んでいたのですが、それでも目がデカくなっちゃってます。はい。本来の目はもっと細いです。
その後もデカ目、均一な肌質と盛れる方向に進化し続け、プリを撮るともはや別人になってしまうので20代後半から足が遠のき、今はすっかりご無沙汰ですね。
こうして昔のプリクラを振り返ってみると、当時の最新鋭がどんどん塗り替えられていき、今はなんだか別の世界に来てしまった感覚すらあります。
写メやスマホにとって変わられると思われていたプリクラも、時代の変化に合わせてしぶとく生き残ってます。これからどの方向に進化していくのか、楽しみです。
いつか、自分の孫とプリクラ撮りたいなぁ!シミやシワの増えた私の肌が、均一になってしまうのか否か…!
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