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曙橋

東京で仕事をしていた頃、わたしは少し不安定だったのだと思う。安定とか不安定などは、判断がすごく難しいし、そもそも不安定であること前提で話される事が多い気がしている。くわえて東京には様々な事情を抱えた人が集まっていたのもあり、出会った人も、擦れ違った人も、恋した人も、愛した仕事もありありとわたしの記憶にのこっている。⁣

記憶は溶けて出ていく。⁣

曙橋には、ひょんなことで知り合った人の店があった。東京という場所には、日々に信じられないような、 ひょんなこと、 が散りばめられていた。わたしがお昼休憩でよく行った、歌舞伎町付近のビルの上階にあるインドカレーの店でたまたま相席になった女性が経営している居酒屋だった。⁣
どうやら初めてここのカレーを食べるらしいその女性に、わたしがポーションミルクを入れると辛さがやわらぎますよ、と教えたことから数分で意気投合し、一時間じゃ話し足りないし、ホントにすぐそこだから、気が向いたら仕事終わりにおいで、と わたし達百貨店で働く接客業とも、このビルの下に広がる歌舞伎町で働く女性たちとも違った種類の上品な笑みを浮かべて誘われたので、仕事終わりにスタッフの小島くんを連れて一度寄ったことがある。
曙橋へは三丁目から徒歩で行けるのに、新宿と世界ががらりとおおきく変わる。新宿と曙橋だけじゃなくて、この世界には同じ色しか存在していないのに、なんでだろうと思う。⁣
店の佇まい的にも、一見さんしか受け入れないんじゃないかなあ、しかも小島くん、黒いアイラインしっかり引いちゃってるじゃん!なんて二人でどきどきしながらいると、店の木戸が開いて、ゆるく口角をあげた、カレー屋で相席になった女性がカウンター越しに手招いていてくれた日、わたしはさんざん散った東京のひょんな話をした。⁣

世界の、まわりには大人の仮面を着けた大人がいて、それはどうしてなのか知りたかったけど、誰も教えてくれなかった。だってみんな、自分を大人だと思っているみたいだったから。わたしももうすぐ三十九歳になるけど、二十二歳のわたしにほんとうを、教えてあげられるかわからない。⁣


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