家族との付き合い方

 やはり、来年から、無理をして年末年始に家族と会うのは止めようと思う。1年の終わりと始まりという大切な節目に皆が我慢して一緒に過ごすことよりも、離れていても各々の目標に向かって1年を振り返り心を改め、新たな1年に向かって静かに心身を整えることの方が、結局家族が幸せだと考えるからだ。

 1年の計は元旦にありという。私は今年の年末年始はあえて1人で過ごし、1年を振り返り、心を整えた。その上で家族に会った。それでも、いざ会うと調子は乱れ、今年早くも大切なことを忘れそうになり、今こうしてパソコンに向かって思い出している。
 楽しかったことも苦しかったことも、後で振り返れば美しい思い出になるだろう。毎年この時期に一緒にいられるのも、当たり前のことではなく、いつか終わってしまうものだ。しかし、本当に共に長く過ごすことだけが大切だろうか。それなくしては、互いを思い遣り愛し合うことはできないのだろうか。
 私の家族には会社の為に犠牲にして来たものがあって、今も関係のそこかしこにわだかまっている。力を持つ大人になり、親に頼らず自力でこの問題を乗り越えたい。昨年は、映画や小説などの物語と出会った方々との様々な遣り取りを通じて、小手先のスキルではなく根本から物事を捉える機会に恵まれた。そうして漸く思い知った。これまで如何に問題の解決を外部に求めていたかを。困ったら自分の頭で考え抜く前に、期限に追われて焦るあまり、人のノウハウの上っ面だけを掬って自分の問題に絆創膏のように貼り付けていた。その場を凌げても、根本的な問題は残り、時を経た分却って深刻さを増すーそのことの繰り返しをしていたに過ぎなかった。いつも時間とお金に追い立てられて、本心から何かを決断したことなど無かったと思う。大金持ちの家でない以上、今後は自らの努力で何としても勉学を達成し、のし上らなければいけない。そうしなければ叶えられぬ目標がある。そうしなければ、今後代替わりをして行く家族を守って行けない。気負っている訳でもなく、それが私の生き方として腑に落ちるものだ。己の人生に関しては、周りがどう言おうと、それはその方々のご意見として聞きはするけれども、もう遠慮して道を曲げることはせぬ。私は多くの犠牲を払ってここまで生きて来た。これ以上我慢を重ねたら、きっと老齢になり脳の制御機能が衰えた時、溜まった不満から次の世代にも苦労と我慢を強いてしまい、家族を苦しめて後悔しながら一生を終えることになるだろう。介護を完遂して寛容さが心身の一部になったけれども、我慢を重ねた人が年をとればどのようになるかという未来が見えてしまったから、これを連鎖させることは何としても食い止める。その方法として、これからは私は己の心に嘘をつかずに生きることにする。

 これまでも、一度も道徳的に誤ったことなどしたいと言った訳ではないのに、大抵のことを反対されて来た。私には親を説得する力が無かったからだろう。真剣に勉強することは、とても険しく多くの困難に遭う道だ。そんなことより今すぐお金の手に入る労働をせよと言われる。多くの誘惑にも逢う。小手先のノウハウを勧める本や記事や広告も目白押しだ。しかし、長い間そういったものと戦って来て、己の心に従って根気強くやり抜くしか道はないと悟った。親を説得する力とは、わかりやすいやる気のある様子、弁論力、愛嬌、情報をまとめて提示するプレゼン力など、色々なものが絡まり合ったものなのだろうか。そう、きっと私は、親にとって高度な教育を受けさせようと思うだけの価値が無い子だったのだ。努力も実力も人間としての魅力も足りなかった。今はそう考えている。しかし、親を説得する力が無ければその道に進めぬ無力な子供時代は、もう終わったのだ。誰かに認めてもらおうと必死に頑張ることは悪くは無いと思うだけの成功体験は私にもあるが、結局最後には他者からの評価よりも己が真剣に取り組んだかどうかが私の人生の評価基準となる。他者から高く評価された経験を思い出しても、評価されてどうなりたいという思いがあって行った結果ではなく、本当に誇りを持ち心を込めてその仕事に打ち込んで周りの人を尊重して協力して働いた結果、偶々人の心を打ったようで評価されたという場合がほとんどだった。つまり、評価は付随的なもので、目標では無かった。良いものにするための手本として優れた人の仕事を見て学ばせて頂くことはあっても、それは試験で良い点を取る為ではなく、良い仕事を為す優秀な仕事人になる為の努力であった。つまり、その先に、相手を見ていた。生きる為にしているどのような仕事であっても、相手を見て研鑽しようとするのは、今思えば私の美徳であったのかもしれない。だが、本当に長年心からやりたいと願い続けて来た仕事に携わった時の私の献身と上達と周りからの高い評価は、生きる為にやって来た仕事の場合の桁違いの速度で生じた。大人たちは、訳知り顔で、本当に好きなことを仕事にできるのは一握りであると何度も話して来たが、私はそれをよく知っていて社会の泥水をすすって働いて生きて来たので、親のお金で悠々と大学生活を過ごした優雅な大人たちにそれを言われてもあまり心には響かない。人には色々なタイプがいる。私を育てる為に大切なことは、厳しい現実をわからせて妥協を覚えさせることではなく、目標の為に脇目も振らず限りなく命すらも削って努力し尽くせと言うことなのである。そのような激励ならば、私は喜んで邁進する。口先だけでなく、実際に私はそうして生きた。罵倒されればされただけ奮起し、命を削ってでも限界を越えようとして努力し、結果として烙印から私を馬鹿にしていた人々の見る目を行動によって変えて来た。私にとって、人生で難しかったことは、努力する前に強制的に他の選択肢を提示されて妥協し良い塩梅の立ち位置を見つけることだったのだ。

私は、両親を守り、いずれ彼らの誇りとなる生き方をし、妹たちの道を守り規範となる人間で在ろう。その遂行の為に、もう一度家族と離れて生きて行く。そして、次に会うときは、必ず家族を心から愛し慈しみ守るのだ。もう不満を抱えて共に堕落する道は選ばぬ。
 今年は、離れていてもしっかり想いを馳せられる強さを身につけたい。

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