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悟りハンドブック ― <私>を思い出すこと、それが悟りです!
※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です
はじめの一行
まえがき
「悟り」という言葉を聞くと、2500年前にインドに実在され、菩提樹の木の下で「悟り」を開かれたブッダ(お釈迦様)のことを思い浮かべるのではないでしょうか。ブッダは、言わずと知れた仏教の開祖であり、「悟り」の代名詞的な存在です。長い歴史の中で、どれだけ多くの方が「ブッダのように悟りたい」と願い、修行をされてきたことでしょうか。
しかし、「悟り」というと、宗教クサくお堅いイメージがあったり、もし関心があったとしても、具体的に何をしたらいいかわからない、あるいは忙しくて、「悟り」のための時間が取れず、自分とは遠いものと感じられている方がほとんどだと思います。
悟りという事に対しては、このまえがきが言う通り、なんだか遠い世界の話のような気がしていた。
人里離れたお寺で日々修行を重ねて得られるもの。
それが悟り。
そんなイメージでした。
しかし、本書に限らず多くの悟り本が言うのは、決してそれは特別なことではなくて、普通の生活の中で得られるものだと言います。
なんとなく悟りが身近に感じられるまえがきに感じられます。
本書の内容
悟りとは?
本書の中では<私>という表現を意識して使われています。
私にとって、本書の中で言う<私>には、二つの意味があるように思います。
そのひとつは、自意識としての<私>。
自分で考え、意識し、あーだ、こーだと考えている自分。
心の中のおしゃべりの主はこの<私>です。
日常的に考え、意志決定を行い、何かを求めたり、何かを考えたりするのは<私>。
一方で、その奥で静かにたたずむ<私>もいるわけです。
この<私>は、思考をするわけでなく、ただたたずんでいる。
表向きの<私>は、<私>を規定しています。
こんな人間だとか、こうすべきだとか。
けどその<私>を抜け出たところに、深淵なる<私>が出現する。
それが悟りである、と言っているような気がするのです。
この<私>という言葉を使って、同じ<私>ではあるものの、異質な特徴を持つ<私>の二つの側面を本書の中では解説しています。
そんな事もあってなかなかにこんがらがる(笑)
「自覚」のやり方
「自覚」というのは、<私>がすべてを創り出していて、肉体さえもが<私>の創造物であるという事を確認すること。自我ともいえる<私>を越えた<私>を知覚することと言い換えられるかもしれません。
その方法について本書では解説されています。簡単にまとめてみます。
①<私>に関心を向ける習慣をつける
瞬間瞬間に頭に浮かぶ思考を眺め、それは誰がそう考えているのだろうか?と問いかける。考えているのは<私>なのだから、「●●と考えているのは<私>だ」と頭の中で言う。
思考と同様に、身体のどこかで感じる感情、感覚、欲求に対しても同じように、「●●を欲しているのは<私>だ」と頭の中で言う
思考、感情、感覚、欲求をつくりだしている<私>の本性にフォーカスしする。
②思考、感情、感覚、欲求を客観的に見つめる
感情や感覚に流されずに、思考、感情、感覚、欲求を映画を見るように客観的に見る。
③今にコミットする
「今、私は●●している」という実況中継を頭の中で行う
これらを見ていると、メタ認知を意識してやっているような気がします。
このような意識付けで、今まで見えなかったものが見えてくるようになるのかもしれませんね。
いやーーー、読書って素晴らしいですね。
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ちなみに私はこんな本書いている人です。
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