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「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー

※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です


はじめの一行

はじめに

今、多くの人が目覚め始めています。
これまではあまりにも当たり前で疑問に思ったことすらなかった「自分とはこんなもの」「世界とはこんなもの」という思い込みが緩み始め、世界のもう一つの側面に気付き始めています。
覚醒へと、悟りへと至るこのプロセスは、その時期が来れば誰もが経験する可能性のある、人間としての自然な出来事なのですが、分離した自我の視点から見ると驚くべき冒険のように感じられて、恐れや不安を感じることもあります。

「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー(中野真作)

比較的スピではよく耳にする「多くの人が目覚め始めている」という定番のキーワードから一行目がスタート。
スピ系の本を読んでいる人にとっては決して目新しい感じはありませんが、あえてこの一文からスタートされたというのはまさに実感を持ってこう言ったことを感じておられるのかもしれません。
また、こういう考え方になじみのない人にとっては、この一行はとてもワクワクする話になるんじゃないかと思います。
私は未だに、「あ、そうなんだ!」とワクワクします。

本書の内容

人生体験の中からの悟り

本書は、著者自身の体験を通じて、自身の目覚めについてを論じていく形をとっています。
なんとなくの感覚として、「悟り」というと、それは究極の目標で、それが達成されたら人生のミッションは終わりというか、それ以降はすべてがうまくいく。そんな風なイメージを私はもっていました。しかし、本書においてそれはあくまで一つの通過地点に過ぎないことが語られます。悟ったとしても、世界はいつも通り。何一つ変わらないのだけれど、見える世界は少なくともありがたいものとしてとらえられる。そんな感じでしょうか。

さて、その悟りという物を垣間見るに際して必要なことを本書では論じています。それは、つらい苦行でもなく、何時間もの瞑想でもないということが表されています。それは例えば、「今ココ」に生きるということ。私たちは、一日のほとんどの時間、思考は過去へ行ったり、未来へ行ったりして、今ココを感じている時間がほとんどないと言います。その今ココを感じる中で、とても大事な手掛かりが体感覚。体の感覚に意識を集中するとき、思考は止まり、今ここに意識を持てると言います。

きっとそういった効果を狙ったのが、ヨガだったりするのでしょうね。そんな風に自分的には解釈しました。

精神世界の話の中で、逆に現実的な体感覚を重視するというのもなんだか変な感じでしょうが、自分を突き動かそうとする「思考」を止める最善の方法が体感覚に集中することなのかもしれません。

「思考」との付き合い方

本書の中では、この思考との付き合い方に注意が必要である、というような事が書かれてあったように思います。
思考というのを私たちは、「自分自身」と思いがちですが、それは巧妙な思考による罠のようです。思考はエゴを増大させ、あたかもそれが自分の中での大事なものである、という自己主張をしがちです。これが社会でもたとえば「もっと欲しい」という思いを生み出し、いつも何かが足りない、という感覚を生み出しているように思えます。人生に充実感を感じられない人の多くは、このエゴによって常に「足りない自分」を生きているのではないか、ということを本書を読む中で気づかせていただいた気がします。

色んなスピ系の本を読んできましたが、今のところこの本は一番です。

いやーーー、読書って素晴らしいですね。

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ちなみに私はこんな本書いてる人です。


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