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超悟り入門

※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です


はじめの一行

はじめに

本書は悟りの本です。いつかは悟りたい、悟れないまでも悟りとは何かを知りたいという人のための入門書になります。
ですので、本書を読み終わった後、すべての人が悟りとは何かを理解することが出来るはずです。中には理解できないという人も出てくるかもしれませんが、そういう人は悟りがわからないのではなく、わかりたくない人です。

超悟り入門(苫米地英人)

初めの一行で本書の目的をズバッと説明。
なんとも苫米地先生らしい直球勝負ですね。
これはこういう本で、読み終わるとこういう状態になる。慣れないのは、あんたがそうしようとしないからだ、ととにかく自信満々。
この独特の語りに多くのファンがつくのかもしれません。

わからない人は、わかりたくない人、というくだりも、スコトーマのことをおっしゃっているのではないかと推察します。
私は苫米地さんの本でその言葉を知りましたが、スコトーマというのは心理的盲点。
見えてるはずなのに、見えないように脳が仕組んでる死角のようなもの。
私たちは見たいものしか見ない、というところの性質があり、この本を読んでも悟りがわからないのは、まさにわかりたくない(わかってしまうと深層心理的に困ってしまう)状態があるのであろう、という事なのでしょうね。

本書の内容

悟りは簡単

本書の内容はまさに、まえがきの数行ですべて説明されているわけですが、もう少し突っ込んだ話をご紹介します。
私のイメージとしては、「悟り」というと究極奥義で、そこまで行ってしまえば人間探求の終着点という印象を持っていました。悟りさえ開ければ、世の中のすべてを理解し、まったく違う世界の住人になるという感じでしょうか。その感覚は、半分あたっていて、半分間違っているのかもしれません。

まず、悟りというのは究極奥義でも何でもなく、いわばそこが出発点のようなもののようです。本書によると悟りというのは、

「この世は幻である」と理解できればいいのです。

と言い切っています。

言ってみれば、映画『マトリックス』のようなものだと言っているわけです。
悟りと瞑想が非常に相性がいい理由は、その「この世は幻である」という事を実感するに際しては、とってもやりやすい方法だからのようです。

このように、答えは「この世は幻」という風に提供されていて、
そこに向かってそれを実感する。
ここまで方向性と方法が明らかになると、なるほど、なんだか悟りというものがとても身近に感じられるような気もしてきます。

悟りを開いたからといって・・・

悟りという状態に関心を持つ人の多くは、現実の世界に何かしらの物足りない感を感じている人が多いのではないでしょうか。
実は私はそういう人の1人です。
何かもっと人生を充実したものにする鍵があるはずだ、とそのカギを探し求めるわけです。
そういう人が、悟りを開いたとしたら、もしこれが本当の悟りならきっと、はじめは「おー、すげー!」となるのでしょうが、だんだんと「だから何?」となっていきそうな気もしています。

本書のテーマとしては、悟ることが最終目的ではなくて、悟った時点で自分がどんな行動をとるか?がとても重要なテーマである、と語っています。

とはいえ、現実に悟りの世界を見たことのない私たちがこんなその先のことを話しされても・・・という気持ちも無きにしも非ず。
ただ、「先があるんだよ」と知っておくことは悪いことではないような気もします。
先があることで、悟りその物が簡単に見えるなら、それはそれで悪い話ではなさそうな気もします。

私もぜひ、悟りの向こう側に行ってみたいな、と感じさせる一冊でした。

いやーーー、読書って素晴らしいですね。


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ちなみに私はこんな本書いてる人です。


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