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忘我思考

※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です


はじめの一行

はじめに 自己肯定感か自我肯定感か

最近、気がかりなのは、「自己肯定感」という言葉がさかんに、それも否定的な文脈で使われていることです。インターネットで検索すると「自己肯定感を高める方法」「自己肯定感が低い理由」といった文字列が次々にヒットします。自己の肯定も否定も主観的な行いですから、たいていの場合、そこに明確な根拠はありません。多くの人が単なる自分の思い込みによるネガティブな感情に苦しんでいるのです。

忘我思考(伊藤東凌 )

近年話題のワードを冒頭に持ってくるあたり、キャッチ―に見えます。
しかし、全体的にはとても落ち着いた本です。
さすが禅寺の和尚です。

本書の内容

梅干しからトマトへ

本書の冒頭で、この本のキーコンセプトは「梅干しからトマトへ」というものである、という宣言がなされています。
これは言い換えれば、心の柔軟性、レジリエンスを高めよう、という事なのだと思います。
梅干しというのは、ぎゅっと小さなところにすべてがまとめられています。
その中には堅い種があり、なかなか形を変えることが難しい状態に見えます。

一方でトマトは、全体に水分をまとい、実そのものはもちろんですが、中に散らした種も柔軟に位置を変える。
そして種は一つではありません。
つまり、正解は一つではないという事。
集中しすぎることなく、適度に分散されており、すべてを包み込む。
そんな人間になれたらいいね、という事が本書が目指すゴールのようです。

そのための道具が「問い」である、という事なのでしょう。

正解と不正解

本書の中で共感した部分の一つとして、「正解を求める」ことの大変さを感じています。
私たちはこれまで、「正解と不正解」を追う人生だったように思います。
学校ではテストで正解するか、不正解なのかを問われます。
人として正しいか、正しくないか、という道徳を学びます。

学力が高いのが正しくて、そうでないと不正解。
そして卒業したならば、上場企業に勤めるのが正解で、そうでないの不正解。
仕事においては、上司の求める盛会に向かって働くことを求められ、それ以外は不正解。
こういった二元論は、人が考えることを拒絶してしまうような気がします。
自分の思いではなく、自分の外側に解を求める行為ではないかと思います。

そこに問いを立てるという事は、「自分はどうありたいか?」という事をあきらかにする行為。
実はこれに慣れない人は、問いを立て、そのことについて考えるのを面倒に感じる人も多いようです。
しかしそれでも、簡単な問いから始めることができると、徐々に心がほぐれてくる。

これまでのカチカチの梅干しが、トマトのように柔らかくなってくるという事なのでしょう。
禅の本質の一部を感じてみるには、興味深くもあり、わかりやすい文章ですので、入門書としておススメです。

いやーーー、読書って素晴らしいですね。

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ちなみに私はこんな本書いている人です。


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