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「息が詰まるようなこの場所で」あとがき

「タワマン文学を書籍化してみませんか?」

TwitterでこんなDMを貰ってから約一年後。私は渋谷のスクランブル交差点に突っ立っていた。目の前の大型スクリーンには鮮やかな湾岸の夜景と、「息が詰まるようなこの場所で」という小説のCMが流れていた。

数年ぶりに訪れたセンター街は昔と変わらずうるさくて、小汚くて、そして若い活力に満ち溢れていた。大学生の頃、飲み会が始まるまで時間を潰していた大盛堂書店には、外山薫と書かれたその本が棚に大々的に並べられていた。

思えば、遠くに来てしまったものだ。

「長編小説に挑戦させて頂けないでしょうか?」

何の受賞歴もないどころか、長編小説を書いた経験すらない素人の戯言。まともに取り合う方がどうかしている。自分でもどうにかなるというプランがあった訳ではない。最初の頃は文字を打つより、バックスペースで文字を消すことに時間を割いていた気がする。

それでも、書き進めていくうちに、自我が溶け、物語の主人公と同化していくような感覚が芽生えていた。気がつけば無心でキーボートを叩くようになり、執筆活動に充てていた夜が待ち遠しくなっていた。

子供の教育が最大の関心事で、自分より恵まれている知人に劣等感を、かつての友人に密かに優越感を抱く心情。私の中にある嫌な部分を抽出していったら、さやかというキャラクターができていた。

後輩の教育に頭を悩ませ、華麗なキャリアを歩む同僚に複雑な感情を抱く日々。このまま起伏なく終わってしまいそうな自分の人生に戸惑い、日々消耗するだけの冴えない会社員。健太の日常は、私が過ごす毎日だった。

地方から東京に出てきて肩肘を張り、自分で作り上げた虚像を必死で演じる毎日。帰省しても、昔の親友や親にすら心を許せる瞬間はないと悟る。綾子の人物像は、私のコンプレックスを投影させたものだ。

傍から見れば上々な人生を歩みつつも、遠くに置いてきた夢が視界の隅でちらつく生活。かといって抗うことも自制して平穏で退屈な日々を過ごす。徹の悩みは、私が抱えているそれと大差ない。

有名な大学を出て立派な企業に入り、湾岸のタワーマンションに住んで子供を中学受験させる。一般的に見れば恵まれているはずなのに、なぜ、「私たち」の生活はこんなに息苦しいのか――。

物語を書き始めた時の問題意識に何かしらの答えを示すことができたのか、甚だ心もとない。それでも、この小説を通じ、私が伝えたいことはすべて出しきれたと思う。最後までお付き合い頂いた読者の皆様に、心から感謝をお伝えしたい。

小説家としてこれからどのような展開が待っているのかは分からないが、どんなにみっともなくても、足掻けるだけ足掻いてみようと思う。

最後になりましたが、編集者としてこの無謀極まりない挑戦を後押し、小説家・外山薫をこの世に送り出してくださったKADOKAWAの山崎悠里様に、この場をお借りして深く感謝申し上げます。

2023年1月30日 外山薫


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