VTuberはなぜ生まれ、そして未来は多様性の礎となれるのか?

関係なさそうでありそうな事なのでこちらのnoteに
そもそも「何かを配信したくても顔出しできない人」が別の姿で配信を始めたものだと考えることが出来るだろう。

キズナアイ( Kizuna AI )という二次元と三次元のボーダレスYouTuberは日本だから生まれたとも言える
日本は二次元的なキャラクターと三次元的なものがクロスオーバーしても受け入れる土壌があるから。

今では諸外国では障害は社会から存在を隠すものでも無く
場合によってはキャラクターのアイデンティティにまで発展している。

日本は今でも「障害は(社会から)隠すべきもの」の傾向がある
有名人や国会議員の比率を見れば明らかだ

VTuberの世界は日本語圏において障害をアイデンティティにまで昇華出来てはいない。

いや、表に出して作品にしたものがあのジブリでも存在しないのではないだろうか。
メッセージとしては沢山出ているが。

車椅子に乗ったアニメの主人公は居るだろうか?

「ジョゼと虎と魚たち」はアニメ版はジョゼはちゃんと恒夫と共に物語を紡ぐ主人公であり、ヒロインしていてジョゼは仲間もいて社会に生きています。

しかしながら先行物語の実写版は健常者の恒夫の人生の一部のただの通りすがりの障害者でやっぱり社会の外の隔絶とした世界に生きているのですどこか。
身体障害者となった今でも見返して思う感想です。

私はこれからVTuberの中の人も外見も多様化していくと思っております。
私は今個人勢ですし、企業勢は今は厳しいかなと思っております。
でも障害の有無関係なく情報発信が出来ますし、アバターも自分の障害を個性にできるようなものにできるよう昇華出来たらと思います。

私だって障害があることは隠すことばかり考えてた
いまでは生足見せてって言ったら間違いなく車椅子の写真をでーんって返しちゃうでしょう。

配信も実は体幹機能関係で現在は介護ベッドからです。

VTuberや配信者の世界だって多様性なんだと思います色々言って

#多様性を考える

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