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呼吸を合わせること

息子が赤ん坊だったとき「寝かしつけのときは赤ちゃんの呼吸と親の呼吸を合わせるといい」と何かで聞いたか読んだかした。赤ん坊が吐くときには自分も吐いて、吸うときは自分も吸う。寝るまで何分と計っていたわけではないけれど、確かにそのほうが息子は早く寝るような気がして、ずっとそうしていた。子供の寝息に耳をすますのは、幸せな時間でもあった。

ところでいま、リフォーム中で仮住まいしていて、段ボールゴロゴロころがったまま住んでいる。物件は家に近いのと、素敵なアイランドキッチンで即決した。もうここに住んでもいいかというぐらい快適だ。

ちょっと雑な図ですが、キッチンはこんな感じ。台エリアのほうに椅子を置いて、食事している。冷蔵庫が向こう側にあるのは、本来の置き場に入らなかったせい。

キッチンからリビングが全部ひとつながりになっているから、ごはんの支度をしていると、そこに夫が見える。それで、冷蔵庫や戸棚からあれこれ出してとかこれ並べてとか、気軽に頼むようになった。

これまでは台所とリビングがセパレートで、私の作業を家族が見ていないだけでなく、私からも他の家族の様子が見られない。頼めないというより、見えないから頼む気にならないという感じだった。

でも、そこに見えていると、気安く声もかけやすい。夫はもともとフットワークが軽い人なので「もうすぐパスタゆで上がるからお皿出してよ」「あ、チーズも」「お水も」「ついでに台も拭いておいてくれる?」みたいな頼みでも、嫌な顔せずやってくれる。

これ、手伝ってもらって楽ちん、という話でもあるのだが、それ以上に良い!と思ったのは、準備の段階で食卓周りにいてもらうと、食事のスタートがスムーズになるということだ。

配膳が整って「ごはんできたよー」と声をかける。そうするとソファに座ってテレビを観ている夫や部屋にいる息子が、おもむろに立ち上がって貴族のようにゆったり食卓につく。こちらはずっと料理の頭になっているから味噌汁が冷める!パスタがのびる!と思ってしまうけれど、向こうは他のことをやっていたわけだから、切り替える時間も必要なのだ。

でも同じ空間にいると、ごはんができたときには夫も自然にごはん頭になっている。それで、食事のスタートがなんというか、スムーズになった。できたときにはもう夫も椅子に座ろうというところまで来ている。私と似たようなテンションで「いただきます」が一緒に言えるようになった。

この話を阿古真理さんにしたら「それは呼吸が合うようになったんですよ」と言われて、なるほどと膝を打った。
最初はバラバラに呼吸していたふたりが、同じ目的で作業をしているうちに、自然に呼吸が寄ってくる。そして「いただきます」で、ぴったり合う。

呼吸を合わせる、と言われて息子の寝かしつけのことが蘇ったが、ああ、あれときっと同じことなんだなと思った。同じ部屋の中にいる人と同じ呼吸で生きていると、心地よいものだ。その心地よさが、自然な眠りにつながったり、食事のおいしさにつながったりする。不思議だな。

部屋の窓からはこんな風景が見えています。(もう葉はすっかり落ちてしまいました)


読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。