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添削屋「ミサキさん」の考察|30|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた㉚ 最終回

|29|からつづく

過去形と現在形を織り交ぜて書く効果

では、例文をあげてみます。

 「ただ今よりご乗船いただきます。どうか急がず、順番にお乗りください」
 男がそういった直後だった。今度は建物の奥にいた人垣が崩れた。その向うには、船上結婚式の相談サロンがある。ガラス張りだが、今は白いカーテンが引かれていて、中の様子は見えない。
 そこのガラス扉が開いた。出てきたのはシルバーグレーのタキシードを着た秋村隆治だった。そして彼に続いて、新海美冬が現れた。彼女は純白のドレスに着替えていた。
 客たちの間から歓声とともにため息ともつかぬ声が漏れた。いうまでもなく美冬に向けられたものだった。彼女はまるで雪の女王のようだった。
 二人はデッキの出入り口まで進むと、その場で並んだ。どうやら夫妻で乗船客たちを迎えるという趣向らしい。彼等は一番最後に乗船する気なのだろう。
 客たちが次々とデッキへと出ていった。秋村と美冬は、彼等一人一人に声をかけ、頭を下げている。出入り口の扉が開けられたせいで外の冷気が入りこんでいたが、美冬は肩が剝き出しのドレス姿ながら、寒そうな表情を全く見せない。

「幻夜」

東野圭吾さんの傑作『幻夜』。終盤のクライマックスに向かうシーンの記述です。過去形を基調とした中に、ところどころ現在形を入れて、読みやすいですね。落ち着いた感じで場の雰囲気を伝えています。

 雅子はハッとした。いつの間にか、由紀夫と二人きりになっている。思えば、二人きりで並んで歩くなんて、ほとんど初めてのことなのだ。雅子は動転した。由紀夫も全然雅子の方を見ない。緊張しているのである。二人は互いに前を向いたまま、黙ってぎくしゃくと歩き続けた。雅子はこの状況を打開すべく、いきなり沙世子の鍵のこと、沙世子の貰った手紙のこと、教室を荒らした犯人がその鍵を目当てにしていたのではないかという自分の考えなどを一方的に話した。由紀夫は最初話をするのも恥ずかしそうにしていたが、雅子の話を聞くにつれ、真剣になった。

恩田陸さんのデビュー作『六番目の小夜子』の一節です。無理なく過去形と現在形が織り交ぜられていて読みやすいですね。

 本物の監獄のようだ。
 それが建物を前にした率直な感想だった。
 人の気配の絶えた深夜。周囲を満たすのは風が起こすざわめきと雄大な山が放つ乾いた土の匂い。
 私の前に立つ鉄柵は、左右に数十メートル延びている。高さは背丈の倍ほどもあり、内側に生い茂る木々の向こうに、皓々とした月の光を浴びて奇怪な屋敷はそびえていた。
 ふと、遠い昔に国語で習った情景という言葉を思い出した。私の心情と重なるこの光景は、まさにそう呼ぶべきものかもしれない。今まで逃れることのできなかった、公開という名の闇にようやく希望の光が灯ったのだ。
 それなのに。今の私は心の底では喜んでいない。むしろできることならここで時間を止めてほしいという醜悪な臆病さが、心にまとわりつく。
 そうだ。本当はこの日が来なければいいと思っていた。

「兇人邸の殺人」

話題の今村昌弘さん『兇人邸の殺人』の出だしです。
過去形、現在形を織り交ぜるほかに、体言止めを使うのも文章のリズムをつくるのに効果がありますよね。

では、翻訳小説ではどうでしょうか。
ひとつだけ、挙げてみますね。

 主人は町からわれわれのところへ電話のかかって来るのを好まない。それを心得ているから、私はすぐに受話器を掛けようとした。が、レエモンは、ちょっと待ってくれと頼み、この招待の件については、夜にでも伝えることでよかったのだが、別の件をあんたの耳に入れておきたかったのだといった。彼は一日中、例のもとの情婦の兄を含むアラビア人の一団につきまとわれたのだ。「今夜、帰りに、家の近くでそいつらを見かけたら、知らせてほしい」私は承知したといった。

「異邦人」

カミュ異邦人』の一節。窪田啓作訳。
翻訳のあれこれについては詳しくはないのですが、日本語として読みやすく書かれているとほっとします。翻訳は翻訳者自身の文学センス・文章力が問われるのでしょうね。

さて、「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」をテキストにして、私自身の見解も交えてこのエッセイをつづってきました。
今回で最終回です。
自分でも、いろいろと勉強になりました。
小説にかんするものが多くなってしまったのは、申し訳なかったです。
私自身は、言葉や文章についての勉強を引き続きやっていくつもりです。
お読みいただき、ありがとうございました。


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