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私の読書●小説家志望の読書日記

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日々の読書の感想・雑記です。 お気軽に覗いていただければ幸いです。
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2021年7月の記事一覧

私の読書●小説家志望の読書日記⑦伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』

 プロローグが伊藤氏の絶筆で、あとを円城氏が書き継いで完成させたという作品。  結論。あえて先を書く必要などなかったのではないか。売れることを見越した出版界の思惑の産物かと思ってしまう。文体のみならず、感性も思索、あるいは思想もまったく異なるものになってしまった。登場人物の造形もあやふやで個性がない。エピローグだけでも十分に期待させたそれがまったくない。毒を吐くなら「エピローグ」を「屍者」化してしまった作品だ。やはり、今やかなわぬこととはいえ伊藤氏自身の作品を読みたかったと思

私の読書●小説家志望の読書日記⑧椎名麟三『自由の彼方で』

 椎名麟三の『自由の彼方で』という小説を若い頃から愛読している。この作品の主人公の心情は痛いほど沁みるのだ。  回想の形で、自分を「ばかな子供だった」と振り返る主人公。底辺の労働者から、労働組合運動にのめりこみ、特高の拷問を経て転向する。話の表面を見ると、本当に何も分からないまま当時の共産党の党員となり指示に従っていたように読める。最初に読んだときは、自分もそう読んでいた。でも、何年か後にもう一度読み直して、それがとんでもない誤解、読み誤りだと気づいた。この小説は作家の自伝的

私の読書●小説家志望の読書日記⑨芥川龍之介・河童忌によせて

 今日は作家・芥川龍之介の命日です。睡眠薬のヴェロナールとジァールによる自殺でした。  その日は夜半から雨が降っていたといいます。  芥川には14歳年上の片山廣子という想い人がいました。歌人でありアイルランド文学者でもある才媛でした。  遺稿となった『或阿呆の一生』にその想いが記されています。 「三十七 越し人  彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落とすよう

私の読書●小説家志望の読書日記⑪馳星周『長恨歌』(『不夜城』三部作完結編)

 馳星周『長恨歌』読了。  結果的に三部作となった『不夜城』シリーズの完結編。  面白く、読みごたえがあったけれど、読まなければよかったという気持ちも半分。完結してほしくなかった。  本作は、前二作、とりわけ二作目の『鎮魂歌』とはかなり趣を異にしている。文体も明らかに異なるが、何といっても、『鎮魂歌』のようなグロさがない。依然中国人黒社会の話ではあるのだが、どちらかというと心理戦に重きが置かれている。そして、まさかの結末。ちょっと喪失感。なぜか、エミリー・ブロンテ『嵐が

私の読書●小説家志望の読書日記⑩大沢在昌『売れる作家の全技術』・東野圭吾『容疑者Xの献身』

 大沢在昌『売れる作家の全技術』(角川文庫)によると、「どうすれば読者の記憶に残るような魅力的なキャラクターを作れるようになるのか。大事なことは一つしかありません。『観察』です。『人間ウォッチング』、それしかない。……会社や職場、あるいは通勤電車で見かける人たちを、想像しながら観察してください。いつも同じような服装か、本を読んでいるか、音楽を聴いているか、どんな仕事をしているんだろう、家族はいるのか、一人暮らしか……」。  読んでいて、思い出すものがある。  東野圭吾『容疑

私の読書●小説家志望の読書日記⑥伊藤計劃『虐殺器官』

 非常に非常に面白かった。  それにしても、この作品もおそらく根っこにはドストエフスキーの問いがある。  『カラマーゾフの兄弟』における、イワン・カラマーゾフの思索と懐疑をほうふつとさせる展開があるのだ。私が思っていた以上に、ドストエフスキーは現代日本作家のなかの特定の部分に大いなる影響を与えていると思われる。ドストエフスキーは、「答え」よりは「問い」あるいは「懐疑」をとことんまで突き詰めて書いた作家だ。たとえそれが信仰にいたる道を究めようとするものであったとしても、いわ

私の読書●小説家志望の読書日記①はじめに

はじめに 自己紹介私は芥川龍之介とドストエフスキーをこよなく愛しています。ほとんどの作品を読んでいます。それも一度や二度ならず。 ごく若い頃にひどく落ち込んだとき、芥川龍之介がいたから生きていようと思ったことがあります。晩年「或阿呆の一生」や「歯車」など、多くは遺作となった作品です。不思議ですね。 本当に辛いときに、明るく楽しいものなど何の役にも立たないのです。寄り添ってくれるのは限界まで研ぎ澄まされた真実の叫び。 もともと好きな作家ではあったけれど、このとき芥川は私の

私の読書●小説家志望の読書日記②花村萬月『色』

 最近は主に現代作家の小説とルポルタージュを濫読中。ルポルタージュは小説のヒントを求めて読んでいます。いずれもこれまでの私にはあまりなかった読書傾向ですが、「いい小説を書くため」という目的があるとこんなに夢中になれるんだなと感じています。  私はどうしても自分の小説にリアリズムを求めてしまうので、現代の諸事象に目を向けることは必要不可欠なのです。    花村萬月さんの『色』という短編集を読みました。私小説のようなエッセイのような作品。そのなかに創作論として読める部分があり考

私の読書●小説家志望の読書日記③芥川龍之介「文芸鑑賞」

 芥川龍之介の「文芸鑑賞」なるものを読んでたら、ごく素直な形で私に言われているような文章が……。  面白かったので引用しておきます。  「素直に作品に面すると言うのはその作品を前にした心全体の保ちかたであります。が、心の動かしかたから言えば、今度は出来るだけ丹念に目を配ってゆかなければなりません。もし小説だったとすれば、筋の発展のしかたとか人物の描写のしかたとかは勿論、一行の文字の使いかたにも注意していかなければなりません。これは創作に志す青年諸君には殊に必要かと思います

私の読書●小説家志望の読書日記④中村文則『掏摸』

 中村文則の『掏摸』を再読していて、気になった言葉がありました。  主人公の「運命」を「神」のように支配しようとする人物の言葉。  「……他人の人生を、机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似てると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界を最も味わってるのは神だ。俺は多くの他人の人生を動かしながら、時々、その人間と同化した気分になる。彼らが考え、感じたことが、自分の中に入ってくることがある。複数の人間の感情が、同時に侵入してくる状態だ。お前は、味わ

私の読書●小説家志望の読書日記⑤柳美里『JR上野駅公園口』

 胸が痛くなるけれど、読むべき本だ。  光には影がある。月並みな言葉。でもそう思わずにいられない。  1933年、天皇(当時)と同じ日に生まれた福島県相馬郡(現・南相馬市)出身の男が主人公。今は上野駅公園口でホームレスをしている。そんな男の一生の物語。  昭和30年代の頃を私のような世代のものは、直接にではなく間接に(親を通じて)《知っている》ところがある。どこか地続きなのだ。  あまり見ないように心の奥底に押し隠している悲しさとやるせなさ。  悲しさ・哀しさ・哀れさ