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小説朗読 マリー姫とマクシミリアン1世の愛の物語  第1章

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こちら私の投稿している小説の朗読になります。 中世ヨーロッパにおいて強大な富を誇ったブルゴーニュ公国のマリー姫と、神聖ローマ皇帝家のハプスブルグ家の御曹子マクシミリアンの史実に…
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#ヨーロッパ中世の歴史

こちらはヘンリー6世のイギリスのライオンとフランスの百合両方の印を入れた旗を持つ、ヨーク公リチャードの肖像画になります。

こちらはサフォーク州ウィングフィールドのセント・アンドリュー教区教会にあるサフォーク公爵夫人として亡くなったエリザベス・オブ・ヨ-クの墓の彫像です。

こちらはラドロー城のあるイギリスのシュロップシャー州ラドローのセント・ローレンス教会のステンドグラスに描かれたヨーク公リチャードの肖像画

ランカスター家のジョン・オブ・ゴーントの血を二重に引くベアトリスの家系図。その親戚の中にはマリー・ド・ブルゴーニュの祖母や、マクシミリアン1世の母もいる。

祖父の死によって父シャルル突進公はブルゴーニュ家4代目当主となり、その一人娘であるマリーは事実上、この華麗なるブルゴーニュ公国の後継者となったのだ。

※絵はシャルル突進公の27歳の頃の肖像画

さて、なぜフィリップ善良公が「騎士団」の名前に「金羊毛」を入れたのか、おわかりいただけただろうか。

※写真は金の羊が付いた、金羊毛騎士団の騎士の首飾り

 それが「我らが騎士マクシミリアン」であり、この陰気な父フリードリッヒ3世とは似ても似つかない光り輝くように明るい魂を持った御曹司が産まれたのは、1459年3月22日のことだった。


※画像はマクシミリアンの両親---フリードリッヒ3世とエレオノ-レ

“Mon ange“ (モン・アンジュ) とか、“ma petite princesse “ (マ・プティット・プランセス 私の可愛いお姫様)とか、“mon trésor“ (モン・トレゾール)と美しい声でマリーを呼んでくれた母はもういない。


※絵はマリーの母、イザベル・ド・ブルボンのお墓があったアントワープの教会

3人で、なんとか生きていくことができそうだと、ベアトリスは心から安心した。


※写真は今もベルギーにある小さな白い家。ベギンホフのベアトリス達が暮らしていた家はまさにこのような家だった

では貴族でもなく、貧しい女性は一人でどうやって生きていけば良いというのか……これがベギン会が生まれた理由だった。この自分たちをベギンと呼んでいた未亡人や独身女性達はなんと自給自足の生活をし、生計を立てていたのだ。


※写真はメッヘレンの聖ロンバウツ大聖堂。

そう、それが例え特権を失った、ただの市民としての大変な生活でも、子供達が殺されてしまうかもしれない、という恐怖に怯えた生活をするよりは余程ましな生活に思えた。


※写真はベルギーの美しい運河

 3人で平和に暮らしている所に突然やってきた男達はこう言った。
「この屋敷の者たちは貴女様方以外は私達の敵方、このまま無事に屋敷から出すことはできません。この屋敷に留まってもらう他はありません。
ただし、貴女様のお子様ともう一人のお子様のお二人には一緒に来てもらいます」と……。

※写真はブルージュ「愛の湖」