百目鬼が屋上で気づいたことと7巻以降の心の内(2023.3.23追記)

※8巻のネタバレを含みます。

先日某所で秋川さんと表題の件について話していた内容について、秋川さんが自身の見解をまとめられていたので、私も改めて考察を整理してみた。

秋川さんの記事はこちら。
https://note.com/kuloe_akikawa/n/n94c8ca017fd9


  • 矢代は心の奥底では男と寝ることを良しと思っていない。過去のレイプに繋がるものだと思っている。

  • 果てた直後の涙の理由は、それなのに自分と寝てしまったから。かつて父親に犯されていた葵の涙と似ていた。

  • 嫌な行為をお前とはしたくないと言っていたのを無視してしまった。

  • 矢代にとって自分は大切な存在で、過去のレイプに繋がるような行為を本当は望んでいなかった。なのに抱いてしまった。

その結果なぜ今(50話時点)のような行動に出ているのか、どうにも不可解だった。やはり6巻末の屋上でで百目鬼が何を思ったのが7巻以降の肝だと思われるので、もう一度一コマ一コマ整理してよく読んでみた。

前段階として
三角のセリフ「惚れた男と一度も寝たことがない」
矢代のセリフ「男を好きになったことは一度もない」「"人間"に惚れたのは後にも先にも一度だけだ」「俺みたいな人間にまともなレンアイなんて出来るわけねえ」
その「一度だけ惚れた人間」が影山で、20年近くずっと一途な片想いのまま。
ということを百目鬼は知っている。

屋上での七原の「もしガキが望まねえ形でんなことしてたんなら そうじゃねえもんも捻じ曲げられてそうなるかもな」の次のコマで矢代の涙を思い出し百目鬼がハッとしているのは、矢代にとっては百目鬼と寝たことも「ねじ曲げられた行為」の一つだったかもしれないと気がついたから。

矢代にとって男と寝るということは、捻じ曲げられた結果、たばこのようにやめたくてもやめられない行為。七原の「やめたくてもやめらんねぇ」のセリフの後、次ページのコマ
「男が好きなわけじゃねーとかいいながら やっぱあんだなそういうの がっかりだわ」= 男とは寝ることを良しと思っていないのに、男の百目鬼が好みのど真ん中という自分の矛盾が嫌だ
「お前は優しそうな普通のセックスしそうだから嫌だ」= お前には俺をもののように扱う暴力的なセックスはできないだろうから、お前とはしたくない
「お前が可愛いでも怖い」= 男のお前を好きだと認めるのが怖い
「お前は嫌だ」= 普通の男のお前とセックスはできない

「おまえをどうにもできない」= お前が好きだからこそ、大事だからこそ、セックスしたくない
ここで百目鬼が顔を上げる、そしてそれは苦痛というよりもどこか驚いたような、希望を見いだしたような顔をしているのは、あの言葉がそういう意味だとはっきり認識したから。矢代もまた自分を好きだと、大事だと思っていたのだと気がついた。

「同じ思いでなくてもいいから縋りたかった」と思って抱いたのに、実は矢代と「同じ思い」だった。しかし抱かれることは矢代が心から望んだことではなく、結果として百目鬼は矢代のトラウマをえぐって傷つけ、決別の道を選ばせてしまった。「嫌だ」と言われても、吐くと言われてもやめず、父親のように押さえつけてしまった結果、思いが通じていたものを壊してしまった。そんな自分を「綺麗だ」と言ってくれたのに。

矢代は百目鬼を飽きた玩具のように捨てたわけでも、嫌いになったわけでもなく、本気で思っていたからこそ受け入れることができなかった。それしか選べなかったのだ、と気がついた。

だから寂しげな顔をして七原の言葉に納得したのではないか。矢代の思いを理解してしまった以上、納得するしかなかったのだ。

ならば、もう側にいられなくてもいい。自分と同じ矢代の思いを抱いて、自分と訣別する道しか選べなかった矢代の苦しさを一緒に背負って、あの人を見守って、同じ世界で生きる。

それが百目鬼が屋上で心に決めたことなのではないか。

7巻以降、百目鬼が矢代に捨てられたにも関わらず、ただ片想いでも構わないという一念だけで極道の道を選んだというのがどうにもしっくりこない。それではただのストーカーではないのか。いくら百目鬼が強い執着タイプだとしてもそれではちょっと不自然ではないか、そう思っていた。

しかし、矢代が百目鬼の思いを受け入れられなかった理由とその苦しみを(完全ではないにしろ)理解したと同時に、矢代もまた自分と同様の思いを抱いていたと百目鬼がはっきりと認識し、矢代の苦しみと業を一緒に背負って生きると決めたのならば腑に落ちる。

以降は百目鬼のモノローグがないので、上記を踏まえた推測。

「たとえ側にいられなくても、矢代の苦しみと業を一緒に背負って生きる。」そう決めて4年間会わずに生きてきた。しかしやはり心のどこかで百目鬼は矢代に変わって欲しいと思っていた。自虐的なセックス依存から抜け出し、自分を受け入れられる人になっていて欲しかった。再会して自分を忘れたという言葉を矢代が覆した時、もしかしたらという気持ちが湧き上がった。しかし矢代は相変わらず「誰とでも(井波とも)」寝ていた(とあくまで百目鬼は認識した)。

やはり変わっていないのか。そして既に自分も「誰でも」の1人になってしまったのだろうか。自分への思いはもはや消えてしまったのか。

バスルームでの百目鬼は矢代の自分への思いを確かめようとしているようだ。神谷の横槍が入って結局何もできなかったとき、小さくため息をついたのは、「何もできなかった」ことに内心安堵したように思える。

バスルームでも、井波から攫ったあとも、矢代は百目鬼と寝ることに積極性は見せず、むしろ百目鬼の行動に抵抗した。井波と、誰とでも寝るのはやめないのに自分には抵抗し、他でやっているであろう自虐的なプレイを嫌がるということは、まだ自分への思いは消えていないはずだと百目鬼は確信したのではないか。

百目鬼が矢代を抱かないのは、矢代が男と寝ることに本当は嫌悪感を抱いており、本気の相手とは寝たいと思わないことを知っているから。また、百目鬼への気持ちが消えていないことも勘付いており、矢代が心から自分の百目鬼の思いを受け入れられない限り、自分の欲望を満たすために矢代を抱いてはならないと強く決心しているから。

それでも、エレベーターホールで矢代が見せた百目鬼への強い意志表示で、百目鬼は矢代が自分を好きだと認められるようになったと期待した。しかし矢代はこの後に及んで天邪鬼なことを言ってはぐらかす。「こうされるのが好きなんですよね それとも優しくして欲しいんですか」は「俺に本当にされたいのはこうではないでしょう?まだ自分の気持ちに嘘をつき続けるんですか?いつになったら自分の気持ちを受け入れられるんですか?」と矢代の本心を促しているように思える。

しかし、それでも素直にもなれないばかりか、自分の冷たさへのあてつけのように自暴自棄に城戸のところへ転がり込んだ矢代に対し、百目鬼の苛立ちと怒りがそのことで頂点に達してしまった。

51話で百目鬼が矢代を文字通り「犯す」のかという点に関しては、以上のようなことであればそれは百目鬼が最もやってはいけないと思っているはずで、矢代の煮え切らない行動に「あなたが本当に欲しいものはそれじゃないのに、なぜ素直になれないのか!!」という怒りの現れであって、そういう行動には出ないはず、と願いたい。

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