いつも「ひさしぶり」

あれもこれも気になったら手にしてる。顔を出すこともあるか(笑)

数が多く変化していく分、どれもが「ひさしぶり」って前置きになってる。「ひとつのことに集中」していないのは、占いにもでている事だそうで、気にしないとして・・・ ものごとが走り出す・新しいスタートを切るとき、ちょっとつっかかってしまいそうな列車なら、線路の下から一瞬、そこにある隙間をふさぐような。子どもがのるブランコが、勢いよく漕げるようにまっすぐ後ろからひと押しするような。 そんな立場になることが多い、と感じてる。

スムーズに動き出したらもう隙間をふさぐ必要も、後ろから押す必要もなく・・・そしてただ「見送る人」となる。「そんな存在も悪くない」と思ってからは、関わる場や人が変化していくことに後ろめたさはなくなっちゃった。

本当はね、いろんなことに関わる中から、「ひとつの居場所」をみつけられたら良い、と思っていたんだろうな~

どこに・誰といてもひとりでも。根っこはつながっていると今はアタマでだけわかっているような気がしていて、「心から実感したい!」が、今年の目標というより願いです。

日常的・表面的には、手にしたように見えて手放したものが多くあるけれど、根っこでは、私だけが手にすることも、逆に手放すことも無いのだ、と。昨年末で、わたし的なおまじないアイテム(書けば叶う):Twitterを手放しました。ほんとはずっと近くにあった、「140文字では収まらない世界」を、意識して取り戻したい。これまた「久しぶり」になりそうな2022年です。まだまだ書くことが抽象的ダ(笑)

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