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草の根広告社/渋谷の絵本(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)

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「再開発の鎮魂歌」

「わたしの社稷洞」
 1980年代に再開発で消えた町を舞台とする韓国の絵本だ。作者キム・イネ氏がこの町で過ごした子供時代を懐かしむように言葉が綴られていく。実在のものと思われる当時の住人の写真がハン・ソンオク氏の背景画に刻まれていく。再開発で消失した町のレクイエムのような一冊だ。

 社稷洞はソウル特別市鐘路区に位置する市町村である。現在は政府総合庁舎などの主要行政機関、金融機関などが集まるソウル中心地のひとつだ。ソウル社稷壇や慶熙宮などの歴史的文化財も多数あり、現代社会と自然、文化が融合した地区である。

 真っ先に思い出したのが80年代の西新宿だった。めまぐるしい再開発が進む東京でももっとも変化した街並みのひとつと言えるだろう。1960年代、副都心計画が始まる前の西新宿は木造の民家やモルタルアパートが密集する住宅街だった。80年代に本格化した地上げにより住人は撤退。跡地にはホテルや高層ビル、そして都庁が建設された。

 60年代に西新宿で生まれ、80年代までを過ごしたのが漫画家のくじらいいく子さん。彼女と変わりゆく西新宿を舞台に「欲望セブンティーン」という漫画を描いた。

 戦争や災害でもないのに巨大な力で故郷が消えていく理不尽さに対する怒りと悲しみ、喪失感。くじらいさんのように当時の西新宿で住まれ育った人たちは今どんな気持ちでプロジェクションマッピングで光り輝く都庁を見上げているんだろう。

 一方で再開発というのはどの立場で語るかで答えがまるで違ってくる問題でもある。80年代の若者の多くは新しいものや新しい文化を求めていた。ぼく自身もそうだった。古い街並みのままでは若者は町を出て行ってしまう。働き手がいなくなる。税収が下がる。せっかく育てた若者を繋ぎ止めるために町を再開発をするという考え方があったのも事実だろう。

 また、行政には災害から住民を守るという義務もある。老朽化したままでは災害時の延焼などが避けられない。だから再開発をするという考え方もある。 京都は古い街並みを観光資源にすることで再開発せずとも税収を下げないという方針を取っているものの、人口減少率は国内ワースト1位だという。

 しかしながら、近年若者のトレンドが変わってきているのもまた事実だ。新しいものより古いものを大切にしたいという文化の醸成。マンションや戸建ても大量生産の新築より造りのしっかりしたビンテージを好む人が増えている。ぼくが育った1960年代のマンモス団地も若い人に人気があるという。そういった「なんでも新しければいいってもんじゃない」というトレンドを行政がキャッチできるかで未来は変わってくるのかもしれない。   

 今年の春、埼玉で50年愛された「沼影市民プール」が解体された。大切な人と別れるときと同じ「死の受容のプロセス」が必要なのではないか、と、去年渋谷のラジオにも出演してくれた太田信吾監督は市民とプールの別れをドキュメンタリー映画として撮影し続けた。町との別れにも死を受容するのと同じようなプロセスが必要なのではないかと近年の再開発問題に触れるたびに感じる。もちろんその前には利害の異なる者同士が「対話」によって落とし所を見出すことが必要なのだけれど。

『わたしの社稷洞』
 おそらくこの町はこうした対話による落とし所が見出せないまま無慈悲に再開発が行われたのだろう。だからこそ「わたしの社稷洞はもうなくなったのです」という最後の一文に胸を抉られる。


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