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老いてもPLASTICのように消えない8月の記憶は?(藤村公洋)

環境と心理

この場では何度も言ってきたから今さらですが、6年前に他界した父はダメな男でございました。
ろくに働かないし、人の物を勝手に質に入れるし、無免許運転(+酒気帯び+原付二人乗り)で収監されるし、母の幼馴染にこっそり借金の無心をして縁を切られたり、まあ困った人でしたよ。口ばっかり達者でね、その場しのぎの言い訳なんてこう言っちゃあ何ですが絶品でしたぞ。そんなもんだから母との諍いも毎日絶えなかったのでね、学校へ行っているあいだの時間が僕にとっての息抜きでもあったのです。少なくとも義務教育を終えるまでの15年はね。長い長い15年間でした。
そんなわけで、学校という逃げ場がなくなる春夏冬の休み、特に夏休みという長〜いブランクは一日じゅう緩やかな緊張感が続くキツい40日間だったわけです。
1学期の終わりなんてのはみんな指折り数えて待ち構えて「休みだー!」ってな感じでしょ。一応合わせるのね、同級生に。「遊ぶぞー」なんて言ってみるの(笑)。心の中はどんよりしてるし軽くお腹も痛くなっちゃったりしてるのにさ。そんな終業式。

だからね、いまだに8月という言葉を聞くと、そして8月の熱気や湿度といった空気感、漂ってくるプールや蚊取り線香やアスファルトの匂いという環境に身を置くと、条件反射的にピリピリして怖かった少年期の家の中を思い出して息苦しくなるのですよ。でもってね、困ったことにそれが僕にとっての郷愁でもあるのですよ。

環境と心理

いまコーネリアスの新譜を聴きながら(先月もそうだったような)書いてるんだけど、『環境と心理』ってお気に入りの曲を聴いていたら書く予定だった内容とだいぶ変わっちゃった。おかしいな、こんなこと書くつもりじゃなかったんだけどな。。

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