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草の根広告社/父子手帖(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)

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「7歳の親方」

 タイルアートと聞いて思い出したのはバルセロナを旅したときに足を運んだグエル公園だ。サグラダファミリアを手掛けたガウディの建築装飾。砕いたタイルの破片を切り絵のように貼り合わせて文様や絵柄を描いていく紀元前から続く表現技法である。

 グエル公園でその緻密なアートに魅了されていた十数年前はまさか自ら手を動かしてタイルを貼る日が来るなんて想像もしていなかった。

 小学校のPTA主催で開催された親子工作教室。地元の建設会社の方々が身近な工作を通じて家づくりの技術やモノ作りの楽しさを伝えてくれるプログラムだった。木工による椅子や棚作り、銅板版画などがある中で娘が選んだのがタイルアートだった。親子工作教室と言っても親は基本的に補佐役に徹する。子供が作りたいものに取り組む自主性を尊重する。早い話が親方となった子供に指示されるがまま「へい親方!」と汗水垂らして働く。そういう現場だ。

作りたいものがちゃんとイメージできているんだろうか。言うことがコロコロ変わるんじゃないだろうか。頭にタオルを巻き、どんなブラックな現場で働かされるのだろうと覚悟して臨んだ。

「パパ、青のタイルを砕いて」
「へい、親方」
「パパ違う、その青じゃない」
「へい、親方」
「パパ細かく砕き過ぎ」
「へい、親方」
 想像以上に作りたいものがイメージできていることに愕く。そして、思っていた以上に自己主張が強く、頑固になっているのにさらに愕く。

「紫のタイルが見つからないんだけど、ここ赤でもよくないですか?」
「ダメ。探してきて」
「…へい親方」
 膨大なタイルの破片の中から数片使うだけの小さな欠片を探し求める。「パパここ、紫と黄色、交互に貼るから手伝って」
「…へい親方」

 体育館の床に座り込んでタイル片を貼っていく緻密で途方に暮れるような作業。老眼に堪える。腰も痛くなってくる。ガウディの指示でグエル公園の壁にタイルを貼り続けた名も無き職人たちの苦労が偲ばれる。汗を掻いたのは職人である彼らなのに後世に名を残すのはガウディただひとりであることに理不尽さを憶える。「目に見えるものは見えないものでできている」という福山雅治さんの言葉を思い出す。

「わかる? こういうのは目に見えない人の力でできて…」
 せっかくの機会だからと大事なことを伝え酔えとするも、
「今、集中してるから話し掛けないで!」と遮られる。結局、大事なことを伝えるには至らなかった。

 まあ、そういうもんだよな。現実でドラマのような心に訴える台詞を言えることはまずないのだ。

 7歳の娘が親方となって作ったタイルアート。その完成の裏に父親の激しい腰の痛みがあったことが語られることはないのだろう。グエル公園のタイルアートを手掛けた職人たちの逸話が残っていないのと同じように。

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