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なぜとなに

おはようございます。きょうも書いていきます。

この土日に先日紹介した『Insight』を読み進めた。いつも本を読むときは、一日に数ページとしているが、今回はそうもいかず、どんどん頁を捲ることになった。そのくらい深刻で、気づきが多かった。

僕は「なぜ」を自分に問いかけることが多い。「なぜ自分はこうしたのだろう?」「なぜ自分はそう思うのだろう?」それが自分にとって有益な問いであると信じて疑わなかった。しかし本書ではそれを推奨しない。自分に問いかけるべき問いは、「なに」である。「自分はなにを感じているのか?」「なにを学んだのか?」だ。

自分のことを深く掘っていく「内省」という行為が、かえって自分を追い詰めて、パフォーマンスを下げるという事実を受け入れるのは難しかった。僕の理解だが、「内省」は「私のため」に行うべき行為でなく、「あなたのため」に行うべき行為だったのだ。「あなたはなぜそうしたのか?」「私は今なにを感じているのか?」

「なぜ」を自分に問いかけるとき、学びから遠ざかる。それは適当な物語を自分のなかで創りあげてしまうからだ。過去を思い出しながら、都合のいいストーリーを他人に語ってしまった経験は誰しもにあるだろう。「なぜ」を自分に、過去に問いかけてはならないのだ。

「なに」を自分に問いかける。過去に問いかける。「自分はなにを学んだのか?」「なにが嫌だったのか?」「なにが良かったのか?」その解は、自らを前に進めてくれる。そしてその「なに」が、今度は誰のためになるだろう?これが「内省」の本来のプロセスだ。

自分はいま「なに」を感じているか。清々しさを感じている。書いてきたものが、自らにのみ閉じていたものが多かったことに気づいて、恥ずかしい気分もあるが、前に進んでいける気がする。「なに」を学んだのか。「内省」を人のために使う、ということだ。

「なぜ」は自分に問いかけない。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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