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何言ってるかわかりませんは、分かりません

あなたは「何を言っているのかわかりません」「言っていることがコロコロ変わってます」と相手から言われたり、相手に思ったことはないだろうか?

そういうときは「抽象的視点の違い」という言葉を、思い浮かべてほしい。

先日『具体と抽象』という良書に巡りあえた。「わかりやすいもの・具体的なもの=善」に流れる世の中に対して正面から「待った」をかける、抽象的視点の高い人へ向けた、エールの本だ。この本を読むと冒頭に述べたような発言がなぜ起きるかが、すっきりと分かる。

冒頭に述べたようなコミュニケーションのすれ違いは「抽象的視点の違い」が原因である。

たとえばあなたが会社の人事をやっていて「今年は優秀な人材を100人採用しよう」という目標を、社長と決めたとする。あなたは社長と「優秀な人材とは何か」を具体的に定義して、部下に伝えるだろう。

実はこの時点ですでに、二つのすれ違いフラグが、発生している。

一つ目は社長とのすれ違いだ。基本的に社長は誰よりも会社の将来を考えている。「企業理念」という会社で最も抽象度の高い言葉を考えたのも社長だ。

そして自社のおかれる環境の変化にも向きあっている。必然的に視点は高くなり、インプットも多い。ゆえに外部の変化にあわせるべく、彼の頭の中での「優秀な人材」の定義は、目まぐるしく変わっていく。

二つ目は部下とのすれ違いだ。部下はあなたと社長の定義した「優秀な人材」を探して奔走することになる。だが社長とあなたの視点が違うように、あなたと部下の視点も異なっている。

そして社長にとっての「優秀な人材」は変化するため、あなたが数週間前に部下に対して伝えた具体的な定義は、すでに過去の遺物かもしれない。

楽天の三木谷社長が「最終面接にどうも優秀な人材が来ないと思って、一次面接に出てみたら、わんさかいた」というのは、有名な話だ。

抽象的な視点が高い人に、悪気はまったくない。だが低い人からすれば、たまったものじゃない。数週間前に具体的に定義した内容が、変わっているじゃないか!おかしい!その心の叫びは一見もっともである。

だが本書では、抽象的視点の高さは「高い人は低くできるが、低い人は高くできない、一方通行である」と断言している。

僕もこの話の結論に「だから都度みんなで丁寧にコミュニケーションして、抽象→具体を心がけよう」なんて、生易しいことは述べない。

抽象的視点が高い人は存在する。低い人も存在する。「何を言っているかわからない」「発言がコロコロ変わっている」そう思ったとき、思われたときは「抽象的視点が違うんだ」と、キレイさっぱりあきらめることだ。

世の中には分かりあえないこともある。(それでいいのだ)

※『具体と抽象』筆者の(きっと切実な)想いがこもっている本です!


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