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鈍い輝き

おはようございます。きょうも書いていきます。

「なぜ自分に声をかけたのか?」これは面談や面接でよく聞かれる質問だ。スカウト式のサービスを使っているので、こんな疑問が候補者から起こる。僕にはそれが付き合いたての恋人の「私のどこが好きなの?」に聞こえる。

もし仮に僕が反対の立場だったとして、同じ疑問を抱くかもしれない。なぜ自分が選ばれたのか?自分のどの部分をよいと感じたのか?それは人として当然の興味だろう。そして奥に潜む一抹の不安の存在を感じざるをえない。他人から見て自分には、よい部分があるのだろうか?

「好きなことが見つからない」という、世間に蔓延している「好きの病」はこんな処にも出現している。「好きが見つからない」というのは、自分への好きが見つからないということではないか。「私が何を好き」というより「私の何を好き」というほうが、立てる問いとして、正確ではないかと感じる。

自らの存在価値を不安視している。これがいま世の中で起きている現象ではないかと思う。自分はこれでいいのか、ここに居ていいのかという不安が、自己愛を脅かして、何が好きで何が嫌いなのかを、決められなくしている。

意思決定の場面において、好きなものを選ぶというのは、好きな自分を選ぶということだ。だから自分を好きでいられない人や、どんなところが好きかを分かっていない人は、好きなものを選ぶことができない。ポリシーがないとも言える。

まず自分のよい点を認める。できれば他人から聞く前に自分で仮説を持っておくのが望ましい。そしてある程度の確信を得られたところで磨いていく。磨くとは、前面に押しだしては傷つき、引っこめ、また押しだすの繰り返しだ。摩擦なくして磨きはかからない。

自らの鈍い輝き(メッキだと眩い輝きになる)を感じることができたなら、不安に感じることはもうすくない。自分への「好き」が出来つつある。何が「好き」かまではもうすぐだ。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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