つなぐカウンセラー

おはようございます。きょうも書いていきます。

カウンセリングやカウンセラーという言葉を聞くと、どんなイメージを持つだろうか。白衣(もしくは白っぽい服)を着て、依頼者を表情の少ない部屋に招き入れ、笑みを浮かべながらメトロノームのように頷く。そんな姿を想像してみてほしい。

話す内容は繊細である。具体例をあげるのは躊躇われるが、まぁそういった悩みを嫌な顔ひとつせず(といって嬉しそうな顔でもない)聞いてくれる、神父のような存在だ。秘密は当然のごとく守られる。

以前に、その常識を覆すカウンセラーに会った。あろうことか彼女は、悩みを共有してしまうのだ。職場の同僚にである。もちろん具体的にではない。ほのめかす。ああ、そういうことなら、あの人と話すといいかもね、そんな具合である。予言のようにも聞こえる。

実際に部屋を出てから、その言われた人と話すと、お互いに核心は外しながらも、なぜかスッとする。本来であれば悩んでいる者同士を結びつけても、症状は更に悪化しそうなものであるが、そうはならない。こういったカウンセリングもあったものかと、驚いた。

時間が経ってみて考えると、あれは「つなぐ」という治療なのではないかと思う。人間はつながっていないと弱い。精気がなくなるとき、それは自分がここにいてもいいのだろうかという疑念や、社会に必要とされないかもしれないという不安を、胸に抱えたときである。そういうとき人は、本当に消え入りそうになってしまう。

冒頭で述べたように、カウンセリングの定石は、密室でおこなわれる秘技といったイメージがある。カウンセラーは特殊な能力を持っていて、その人でなければできない技や知識があると思われている。権威に人が集まる。いわゆる「集中型」だ。

だが前述の彼女のように「分散型」を用いるカウンセラーがいる。悩みをつなぎ、勝手に消化させてしまう。彼女のおかげなのか、すぐはわからない。しかし彼女がいなければ、つながることはない。

それは人が人を治す、という根本を信じているからこそ、為せる所業ではないか。自らでなくてもいい。その姿勢に、学ぶことは多い。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

サポートありがとうございます。