アマビエ

おはようございます。今週も書いていきます。

目に見えないものを大切にしようと語りあっていたら、目に見えないものが襲ってきた。私たちは何を恐れているのか。

「アマビエ」という妖怪の絵が入ったグッズや菓子が、売れているらしい。疫病退散にご利益があるそうだ。古くから人々は不安に襲われると、それを祓うかのごとく、絵や文字にして眺めたり、持ち歩いたりしてきた。地域の伝承などは、その最たる例だろう。

裏を返せば、具現化する対象には、恐れを感じている、ということになる。疫病は言うまでもなく、実は人のつながりや感情といったものに、私たちはある種の不安を感じていたのではないか。

それが、失くすことへの不安なのか、増えることへの不安なのか、考察する必要があるだろう。私たちは寂しかったのだろうか、それとも鬱陶しかったのだろうか。そのいずれでもなく、左右される自分が、疎ましかったのだ。

思えば平穏な日々が続いていた。右肩あがりにせよ、下がりにせよ、動いているものに乗っかっているうちは、大地の振動は伝わらない。だから、気が散るのである。そして止まったとき、ようやく我に返るのだ。

今こうして外(?)から大きな衝撃を受けると、私たちは急に、目に見えるものを大事にする。それは家族など隣人であり、情報であり、事実である。マスクの買い占めも、大切な人を守るための、人間らしい行動だといえる。

政府から支給される10万円も、寄付や消費されるお金もすべて、慰めの言葉より遥かに役立つだろう。人間の感情云々という話はその先、あとなのだ。

近年の風潮は、私たちが、目に見えるものを大切にしていないことからの、うしろめたさから起こっていたのではないか。もしくは目を逸らさせたい、逸らしたい、という心理から来ていたのではないか。

地に足がついてきた、と言える。触れるものを(いろいろな意味で)厳かに扱うようになった。私たちに必要なのは、目に見えるものと向き合う、覚悟だったのではないか。コロナがそれを教えているようだ。

今週も読んでくださって、ありがとうございました。よい一週間をおすごしください。

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