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幻想

おはようございます。今週も書いていきます。

東京オリンピック・パラリンピックが延期になって、なにかがガタガタっと音を立て、崩れた感じがある。同日、東京都のコロナの感染者数の発表が、一気に増えたのも、偶然ではないだろう。幻想というものが崩れた音だったのではないか。

思えばこの数年、日本人は「オリンピックまでは」という想いを、どこかで抱いていたように感じる。何かを節目にすることで、意思決定を行いやすくするというのは、私たちの生きる知恵だ。自らの足だけではなく、ときには外から背中を押してもらうことで、前に進んできた。

また、公式な行事というものが、学校や会社くらいの規模で中止になるのは慣れていたが、これが国家や世界の規模となると、私たちには免疫がない。考えてみればオリンピックだって、ある団体が主催の行事でしかないのに、どこか絶対的な、不朽不滅の代物であると、信じてはいなかっただろうか。

その幻想が、崩れ落ちたのだ。自らを前に進める節目、安心して崇められた対象が失われると、途端に人は小さくなる。これから私たちは、何を頼りに生きていけばいいのか。拠り所を失った感覚を持つ人は少なくないだろう。

だが一方で、この窮地に各所から挙がる声には、希望も多く含まれている。誰かは「リセット」と表現していた。まさに幻想のリセットをする機会が、訪れているのだ。巨大なもの、古くからあるものへの盲目的な信仰を捨て、新しいもの、目には見えないものに願いを寄せることはできないだろうか。

それは新たな幻想とも呼べるだろう。大切だと思っていたものが、目の前で崩れたとき、人は暫くの間、茫然自失となる。だがやがて立ち直る術を身につけている。またその過程が、何よりも自らを進化させる要因ではなかったか。新たな幻想をつくることが、自らをつくり直すことと、一致するのだ。

窮地である。しかし、やがてまた再生する。幻想のアップデートが、ひとの進歩ではなかったか。いま、いい場所に立っている。

今週も読んでくださって、ありがとうございました。よい一週間をおすごしください。

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