理想がカタい
おはようございます。きょうも書いていきます。
「いい人がいない。」「人が足りない。」とため息をつく相手に、「はぁ。そうですか。」と答える。会議室のガラス越しにオフィスを見やると、「人」がPCを覗いている。ビルの外に目をやると、「人」がワラワラと歩いている。本当に「人」はいないのだろうか。
いい人は永遠に現れない。これは企業の採用しかり、単身者の婚活しかり、同じである。いい人なんて最初からいない。いるとすれば「いい人を見つけられる人」であろう。
人事の仕事をやっていてもいなくても、「人材不足」という言葉を耳にすることはあるだろう。「採用難」とか「会社離れ」とか「すぐ辞める」とか、そういった類のキーワードはすべて、求人する側の言い訳である。
そもそも考えてみてほしい。世界の人口は変わらない(むしろまだ増える)のに、なぜ「人」が足りないのか。もし仮に全体の数字が増えているのに、自分から見える数字は増えないのだとすれば、それは何が問題なんだろう。
求人する側の、視野のせまさが原因だ。そしてお決まりだが、理想が高い、もとい理想がカタいのである。
終身雇用制度がなんたらとか、個の時代がどうとか、働き方がなんだという話は、すべて変化する前提条件である。今はそうかもしれないが、後でどうなるかわからない。ゲームでいえば、ただのルールだ。
だがそのルールを理解せずに、ゲームに参加している人は多い。そうなると何が起きるか。目の前に歩いている人を、「人」と認識できないのである。理想がカタすぎて、現実の「人」に対して、思考の形を合わせられていないのだ。
それが「人」が足りない原因である。人はいる。いい人もいる。だが理想がカタい人には「人」が認識できない。意固地だから。
いま婚活会場で「家事育児すべてやってくれて働く自分を支えてくれる人」と希望をいえば何が起きるか。会社なら似たようなことを言っていいのか。人はいる。いないのはその人のまわりだけである。
きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。
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