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読む

おはようございます。今週も書いていきます。

このコロナ禍に、幾度となく、#ブックカバーチャレンジ、の文字を見た。幸か不幸か、僕のもとにそれは回ってこなかったが、横目でそのタグを追いながら、想うことがあったので、記しておきたい。あれ読んでないだろう。

たしかルールは、本のカバーを写真であげて、中身については説明しない、だったと思う。もはや本はファッションであって、インテリジェンスでも、インフォメーションでもない。○○を読んでいる自分が好きなのであって、○○が好きなわけではない。(どこかで聞いた気がする)

驚くのは仕掛け人のうまさである。おそらくあれを、#ブックチャレンジとしていたなら、さほどまわることはなかったであろう。中身を説明してねと言われたら、詳細には読んでいないし、分かっていないし、窮したはずだ。時代を読んだ仕掛けである。

ただ興味深いことに、ブック「カバー」でも、その人についてはよく表れている。賢いと思われたい人、かわいいと思われたい人、慈悲深いと思われたい人、意図を読むことで、本人の言動や本の中身以上に、人間性が炙り出される。いちいち本人に講釈されるよりも、想像の余白があっておもしろい。

さて、回ってこなかったので、自分なら何を選んだのだろうと、妄想した。すると思いつかない。やはりカッコつけたいと難しい本を選ぼうとしたり、洒落た印象の本を持ってこようとする自分がいる。空気を読んでおきたい、という下心も出る。なかなか手強い。

そう考えるとあれも大喜利のひとつなのだ。中身がどうというよりも、どう立ち回るかの方に、焦点が当たる。今更ながら「#」の存在に慄く。流れを読む者に、軍配があがる仕組みだ。

読んでいない読んでいないと嫌味をつづけてきたが、むしろこれだけあれこれ読んでいるのだから、もう充分という気持ちかもしれない。家にいるときくらい、読まないで居させてほしいのだ。

今週も読んでくださって、ありがとうございました。よい一週間をおすごしください。

サポートありがとうございます。